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埋蔵文化財|パネル展1998

印刷用ページを表示する 掲載日:2012年9月10日更新

宮城県の発掘調査パネル展

場所:宮城県庁1階ロビー  期間:平成11年3月23日~4月2日  担当:文化財保護課

うつ伏せに葬られた縄文人

(2)里浜貝塚(鳴瀬町)

里浜貝塚は日本有数の大規模な貝塚です。今回の調査で、約3,000年前の成人男性の墓と約4,000年前の貝層が明らかになりました。墓から見つかった人骨は手足を折り曲げられてうつ伏せの状態で埋葬されていました。貝層からは土器などがたくさん出土しています。 協力:奥松島縄文村歴史資料館

貝層出土の土器埋葬された人骨

縄文人の一大共同墓地

(3)矢越遺跡(白石市)

矢越遺跡からは、多数の墓穴や埋設された土器が見つかりました。土器の中には故意に底に穴を開けたものもあります。これは、今から二千数百年前、縄文時代晩期の中頃から後半頃にかけてのものと考えられます。 協力:白石市教育委員会

おびただしい数の墓穴埋設された土器

弥生人の竪穴住居跡

(4)名生館遺跡(古川市)

この住居跡は、今から1,800~1,900年ほど前のものです。平面形は直径約3.5mの円形で、中央に炉跡があります。県内では弥生時代の発見例は少なく、貴重な資料です。他には、古墳時代中期(約1,500年前)の土器が多数埋められた穴なども見つかっています。

円形の住居跡埋められた小型土器

解明された豪族の墓

(5)大塚森(夷森)古墳(宮崎町)

大塚森古墳は、直径46.7m、高さ7.8mの大型円墳で、4世紀後半に造られたと考えられます。棺を据えるために粘土で作られた施設(粘土郭)が2基発見され、棺の底面からガラス小玉や管玉、漆製品などが出土しました。また、埋葬用通路などが見つかっています。 協力:東北学院大学考古学研究室

古墳全景並んで発見された棺跡

赤く彩られた横穴墓

(6)追戸横穴墓群(涌谷町)

涌谷町指定文化財である追戸横穴墓群は、7世紀後半から8世紀前半に作られました。今回、保存・整備のための調査が行われ、墓の遺体を安置する場所(玄室)の床面全体が赤く彩られていることが明らかになりました。今後、公園として整備される予定です。 協力:涌谷町教育委員会

横穴墓の入り口玄室内部

地下3mのタイムカプセル

(7)-1市川橋遺跡No.1(多賀城市)

市川橋遺跡の地下約3mには、古墳時代から平安時代の河川跡が埋もれています。ここからは、千数百年前のものとは思えないほど保存の良い土器や木簡、鳴鏑付雁又鏃、釣針、鋳型、倉の鍵など、様々な遺物が出土しました。
木簡には、『杜家立成雑書要略』という中国から伝わった手紙の書き方の本の題名とその冒頭の一節が書かれていました。この本は中国では現存せず、日本では唯一「正倉院」に残る光明皇太后が書き写したものだけです。一部とはいえ、その内容を書いたものが発見されたのは全国で初めてで、大変貴重です。

簡『杜家立成雑書要略』雁又鏃倉の鍵(クルリ)釣針墨書土器(官人の姿)鋳型

河川跡から丸木舟出土

(7)-2市川橋遺跡No.2(多賀城市)

7世紀初め頃の河川跡の岸辺からは、トチの木をくり抜いて作った全長5.2mの丸木舟が出土しました。舟は舳先を川岸に乗り上げたような状態で埋もれていました。

河川跡丸木舟

多賀城城外最大級の建物群

(7)-3市川橋遺跡No.3(多賀城市)

多賀城南門の南東約500mの地点から、平安時代の大型建物跡3棟が発見されました。全長33mと南北に非常に長いこれらの建物跡は、南北に2棟ずつ2列に整然と並んでいたと推定され、城外に置かれた重要な役所の一つと考えられます。 協力:多賀城市教育委員会

調査区 多賀城跡を望む長大な建物跡

鎮守府?軍事関連の役所か

(8)多賀城跡69次調査(多賀城市)

多賀城の外郭南門から政庁に至る南北大路の右手の丘陵南部を調査し、奈良時代を中心とする役所の建物群(官衙)を発見しました。これらは以前の調査で大路に面した排水路跡から出土した木簡から、軍事関連の役所と考えられます。 協力:多賀城跡調査研究所

調査区全景発見された遺構群

火災にあった古代の住居

(9)壇の越遺跡(宮崎町)

壇の越遺跡は、古代賀美郡の役所跡である国史跡東山遺跡の南西に広がる遺跡です。今年の調査で、奈良時代の竪穴住居跡が多数見つかりました。中には火災にあった住居も3軒あり、炭化した柱や板材とともに、食器や煮炊きに使われた土器が多量に出土しました。 協力:宮崎町教育委員会

カマドの付いた住居跡カマド周辺拡大

大型の住居跡発見

(10)経ヶ崎遺跡(高清水町)

奈良時代後半頃の大きな竪穴住居跡が発見されました。一辺が10m弱の方形で、この時代の住居としては県内で最大級のものです。住居内には4本の柱跡があり、北側の壁際には煮炊きなどに使われたカマドが作られ、その周辺には多くの土器が残されていました。 協力:高清水町教育委員会

大型の住居跡土器出土状況

中世の霊場

(11)海藏庵板碑群(河北町)

海藏庵板碑群は、追波川の河口近くの丘に建つ鎌倉時代後半から室町時代の板碑(石の供養碑)群です。最も古い板碑は、石で囲われた「よりとも」様と呼ばれる大型のもので弘安10年(1,287年)の銘があります。これを中心に200基以上の板碑が見つかっています。

「よりとも」さまと呼ばれる板碑立ち並ぶ板碑群

中世の川沿いの屋敷跡

(12)一本柳遺跡(小牛田町)

 鳴瀬川に沿って、堀で方形に囲まれた一辺約100mの規模を持つ、鎌倉時代後半頃の屋敷跡が見つかりました。屋敷内からは、様々な生活道具とともに、中国の陶磁器や茶の湯の道具などの高級品が多く発見されており、武士の屋敷跡と考えられます。

堀で囲まれた屋敷跡陶磁器

伊達政宗の三男宗清の居館

(14)下草古城跡(大和町)

今回、本丸跡の南半部を調査し、伊達宗清の居館の一部が明らかになりました。最も大きな建物跡は約12畳と16畳の部屋に分かれており、四方には幅2mほどの廊下が巡っていたようです。また、南側からは塀跡や2個の礎石を持つ門跡なども見つかっています。

大きな建物跡門跡の礎石

仙台城本丸の石垣の調査

(14)仙台城跡(仙台市)

石垣を積み直すための解体工事に併行して、発掘調査を行っています。現在の石垣をはずした内側から、土留めの石列や江戸時代初頭の築城時の石垣、仙台城築城以前の山城の空堀などが見つかりました。出土遺物には金箔瓦やガラス器などがあります。 協力:仙台市教員委員会

解体される石垣出土遺物

注:(1)には築館町上高森遺跡の記述がありましたが、旧石器発掘ねつ造が明らかになったため、登録を抹消致しました。