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埋蔵文化財|パネル展2000

印刷用ページを表示する 掲載日:2012年9月10日更新

宮城県の発掘調査パネル展

場所:宮城県庁1階ロビー  期間:平成13年3月26日~4月6日  担当:文化財保護課

ごあいさつ

本県には、6000ヶ所余の遺跡があります。これらは、私たちの祖先が残した貴重な遺産であり、大切に保存し後世に伝えていかなければなりません。

宮城県では、これらの保護に全力をあげておりますが、やむをえず開発等に伴って姿を消す遺跡も多く、そのための発掘調査も実施しております。

このたび、写真パネルにより本年度に実施した調査の成果を紹介いたしますので、文化財に親しみ、文化財の保護に対してご理解を深めていただければ幸いです。

なお、今回の展示にあたっては、県内各市町村の教育委員会・研究所のご協力をいただきました。この場を借りて厚く御礼を申し上げます。

枠内の図をクリックしてください。拡大図にジャンプします。

遺跡の位置年表

(1)野田山遺跡(名取市)名取市教育委員会

(2)嘉倉貝塚(築館町)宮城県教育委員会

(3)原遺跡(仙台市)仙台市教育委員会

(4)市川橋遺跡(多賀城市)多賀城市教育委員会

(5)西台畑遺跡(仙台市)仙台市教育委員会

(6)南小林遺跡(古川市)古川市教育委員会

(7)多賀城跡(多賀城市)多賀城跡調査研究所

(8)壇の越遺跡(宮崎町)宮崎町教育委員会

(9)大貝窯跡(利府町)利府町教育委員会

(10)中野高柳遺跡(仙台市)宮城県教育委員会

(11)郷主内遺跡(角田市)宮城県教育委員会

(12)仙台城本丸跡(仙台市)仙台市教育委員会

後期旧石器発見

(1)野田山遺跡(名取市)

県立がんセンターの敷地内で、地表下約70cmの地層から2~1.5万年前の石器が32点まとまって出土しました。石器の製作には、後期旧石器時代に盛行した縦長の石片を連続して剥ぎ取る技法が用いられています。

遺跡全景石器出土状況石器出土状況

縄文時代の大集落

(2)嘉倉貝塚(築館町)

嘉倉貝塚は、伊豆沼を中心とする湖沼地帯に面する縄文時代前・中期(約5,500~5,000年前)の集落跡です。多数の竪穴住居跡や建物跡、貯蔵穴が発見され、これらの施設は同じ場所で何度も建て替えられています。この地域の拠点的な大集落であったと思われます。

縄文時代の大型建物

(2)嘉倉貝塚(築館町)

大型の建物跡が数棟見つかりました。写真の建物は長さ10m、幅5mで、柱には直径約40cmの非常に太い丸木が用いられています。特殊な高床の建物であった可能性があります。縄文土器や石器などをはじめ、耳飾りやペンダントなどの装飾品も出土しています。

遺跡遠景住居群大形住居土器・土製品石製品大形住居

前期古墳の木棺

(3)原はら遺跡(仙台市)

原遺跡では、4世紀代に造られた南北約15m、東西約14mの方墳を発見しました。周囲には幅3~4mの溝が巡り、墳丘中央部には割竹形木棺が埋葬されていました。当時の小規模古墳の構造を知る上で貴重な資料です。

古墳全景割竹形木棺

古墳時代の土木事業

(4)-1市川橋いちかわばし遺跡(多賀城市)

古墳時代前期(4世紀代)の水田や水路跡が発見されています。水路跡は幅2.5mで、ほぼ南北方向に一直線に延びています。西壁面には長さ22mにわたって約160枚の板を並べて護岸が行われていました。当時の用水管理のあり方とその技術を示す土木事業です。

いちかわばし遺構遺構2

役所をつくった人々のムラ

(5)西台畑遺跡(仙台市)

西台畑遺跡は、多賀城以前の陸奥国府跡とみられる郡山遺跡西隣にある飛鳥時代~奈良時代初めの遺跡です。郡山遺跡の造営や運営に携わった人々の集落跡と考えられます。ごく一部の調査で竪穴住居跡が40軒も発見されたことから、未調査の地区にも多数の住居跡があるものと推定されています。

住居跡群位置関係

整然と立ち並ぶ倉庫群

(6)南小林みなみおばやし遺跡(古川市)

8世紀初めころの倉庫5棟を発見しました。南側の軒をそろえて一列に東西方向に並んでいます。写真は、長さが東西10.8m、南北7.8mの穀倉で、火災に遭って焼失したものです。多賀城が造られる以前に、江合川北岸にまで律令支配が浸透していたようです。

調査区全体調査区掘立柱建物跡遺構配置図

呰麻呂あざまろに焼かれた倉庫群

(7)多賀城跡(多賀城市)

多賀城の外郭南門から政庁に至る南北大路の右手の丘陵部では重要な役割を果たす建物が計画的に建てられており、新たに倉庫風の建物跡4棟が発見されました。これらの建物跡は火災に遭っていることから宝亀11(西暦780)年、伊治公呰麻呂の乱で焼失したものと考えられます。

遺跡全体調査区遠景

奈良時代の有力者の屋敷跡

(8)壇の越遺跡(宮崎町)

壇の越遺跡では、主屋・倉庫などとみられる建物跡群と、周囲に溝が掘られた大型の竪穴住居跡がまとまって発見された場所があります。住居跡周囲の溝跡から多量の土器の他、硯が出土したことから、これらの建物群は役人など有力者の屋敷跡と考えられます。

巨大な城壁じょうへきのある町

(8)壇の越遺跡(宮崎町)

奈良・平安時代の壇の越遺跡は、賀美郡役所(東山遺跡)の役人や役所に関わりのある人々が暮らす町でした。役所や町を取り囲む長さ270m以上におよぶ築地塀跡を発見しました。塀の高さは4.5mと推定され、100mおきに見張りのための櫓が造られています。

遺跡近景堀の巡る住居跡住居と建物の配置出土遺物築地土塀の痕跡櫓やぐら築地模式図

奈良・平安時代の炭窯跡

(9)大貝おおがい窯跡(利府町)

大貝窯跡は、奈良・平安時代の多賀城に瓦や鉄を供給した遺跡です。須恵器・瓦窯跡4基、炭窯跡11基を発見しました。写真は、製鉄炉で大量に使う木炭を焼いた窯跡です。隣には作業小屋の跡も残っていました。

炭窯跡

国府多賀城の官庁街

(4)-2市川橋遺跡(多賀城市)

陸奥国府多賀城の南門から南へ延びる南北大路の西側で、南北に並ぶ大型建物跡を発見しました。写真は、長さが南北18m、東西6.5mの平安時代の大型建物です。大規模な建物跡は南北大路の東側でも発見しており、南北大路の両側に役所の施設が並んでいたことがわかってきました。

大型建物跡大型建物跡

溝で囲まれた鎌倉時代の屋敷跡

(10)中野高柳遺跡(仙台市)

幅1.5~2mの大溝で囲まれた屋敷跡を発見しました。敷地は、南北約40m、東西約30mの南北に長い方形です。写真下側の溝が途切れるところに造られた門から屋敷へ入ると広場があり、屋敷の中央には主屋を中心に建物が配置されています。

調査区空撮屋敷跡

埋められた密教法具

(11)郷主内館跡(角田市)

郷主内館跡では、加持祈祷の儀式に用いられた銅製の法具がまとまって小さな穴から出土しました。発掘調査で出土することは全国的にも珍しく、13世紀後半のものと考えられます。

出土遺物出土状況

伊達政宗築城期の石垣

(12) 仙台城本丸跡(仙台市)

伊達政宗築城期の石垣の一部が発見されました。この石垣は、元和2年(1616年)の地震で崩れたため、その上に新たに石垣(第2期)が築かれていました。調査の結果、築城期の石垣は、山の斜面を段状に切り崩し、途中に3つの小段を設けて石を積み上げた「段石垣」であると考えられています。

空撮石垣断面合成模式図

本文ここまでです