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口伝によれば、明治の初め頃、黒川郡方面から伝わったとされているが、岩手県の気仙地方から伝えられ、江戸時代から踊っていたとする説もあり、定かではない。
秋保などの「弥十郎田植」の系派とは異なる「掲鼓田植」の系派の数少なくなった田植踊で、技芸も優れており、装束や芸態には地域の特色を持つ古来の芸風を継承保持している。また、県内の田植踊りのほとんどで本来の正月に踊られることがなくなっているなかで、廿一田植踊だけが正月行事として集落を巡っている点もきわめて貴重である。
毎年元旦の早朝に、地区の八雲神社と古峰神社で、豊作祈願の舞いを奉納した後、地区の農家を門付して回っている。
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