リアスの海は語り部の声、
海と山の幸をはぐくむ

気仙沼・南三陸エリア

[ 気仙沼市・南三陸町 ]

エリアガイド

1気仙沼市東日本大震災遺構・伝承館

震災伝承関連施設

2リアス・アーク美術館「東日本大震災の記録と津波の災害史」常設展示

震災伝承関連施設

3気仙沼市復興祈念公園

震災伝承関連施設

4商業施設「ないわん」

観光関連施設

5気仙沼ブリュワーズテーブル

観光関連施設

6気仙沼湾横断橋(かなえおおはし)

観光関連施設

7気仙沼大島

観光関連施設

8唐桑半島ビジターセンター(現在は改修のため休館中)

震災伝承関連施設

9野杜海(のどか)

観光関連施設

10道の駅「大谷海岸」

観光関連施設

11南三陸311メモリアル

震災伝承関連施設

12南三陸町震災復興祈念公園/南三陸町旧防災対策庁舎

震災伝承関連施設

13南三陸さんさん商店街

観光関連施設

14中橋

観光関連施設

15南三陸ホテル観洋

観光関連施設

16南三陸ハマーレ歌津

観光関連施設

17気仙沼市「フカヒレ」

グルメ

18南三陸町「ギンザケ」

グルメ

19南三陸町「南三陸キラキラ丼」 

グルメ

 

気仙沼市東日本大震災遺構・伝承館

震災伝承関連施設

1

校舎に津波で流されてきた車

映像シアター

 気仙沼市東日本大震災遺構・伝承館がある階上(はしかみ)地区は気仙沼市のほぼ中心部に位置し、三陸復興国立公園に指定された景勝地「岩井崎」には、岬の先端に復興のシンボル「龍の松」があります。海からわずか約150mの位置にあった「気仙沼向洋高等学校」は13mを超える大津波に襲われましたが、発災当時校内にいた生徒等は、臨機応変な避難により全員が無事でした。被災当時の高校の校舎はそのままの姿で保存され、将来にわたって警鐘を鳴らし続ける「震災遺構」として整備されました。大きく破損した外壁や校舎3階の窓から教室内に飛び込んだ車、散乱した教科書など、津波の強烈な破壊力を目の当たりにすることができます。併設する「震災伝承館」では豊富な写真や映像展示で津波防災を多角的に学ぶことができ、各種防災セミナーも開催。地元の中高生も語り部として活動し、若い世代への記憶の継承も行われています。

【対応言語:英語、中国語(簡体字)、中国語(繁体字)、韓国語・インドネシア語】
・英語、中国語(簡体字)、中国語(繫体字)、韓国語、インドネシア語の音声ガイドをQRコードでダウンロードできます。

気仙沼市東日本大震災遺構・伝承館 動画はこちら

所在地:気仙沼市波路上瀬向9-1
電話番号:0226-28-9671
開館時間:4月~9月/9:30-17:00(最終受付16:00)、10月~3月/9:30-16:00(最終受付15:00) 
休館日:毎週月曜日(祝日の場合は翌日)、年末年始(12月30日~1月4日)
特別開館日(曜日・祝日に限らず開館する日):毎月11日、9月1日(防災の日)、11月5日(世界津波の日)
料金:有料(詳細は施設のウェブサイトをご覧ください)
交通:JR陸前階上駅から車で約3分(徒歩約20分)
HP:https://www.kesennuma-memorial.jp/

気仙沼市は―

 宮城県の最北端、北上山地の南東部に位置しています。世界三大漁場の三陸沖を抱え、水産加工から造船までの幅広い水産関連業が集積していることから、気仙沼漁港には全国から漁船が集まります。生鮮カツオ、メカジキ、サメ類は水揚高日本一(2022年)(※1)、カキやホヤ、ワカメの養殖も盛んです。水産業は古くから地域の重要な産業であり、人的交流や風土に根づいた文化も育んできました。
 東日本大震災では、市の内陸部まで達する巨大津波と地震発生後の大規模な火災により、死者は1,219人(震災関連死を含む)、行方不明者は214人となり、人的被害としては県内で石巻市に次ぐ2番目に大きな被害となりました。また、住家被害は全壊が8,483棟、半壊が2,571棟に上りました。(※2)
※1 出典:一般社団法人漁業情報サービスセンター
※2 出典:東日本大震災における被害状況 令和4年9月30日現在 (宮城県復興・危機管理部復興・危機管理総務課) 

 

リアス・アーク美術館

震災伝承関連施設

2

被災物の常設展示

被災物の常設展示

 1994年に開館した本施設は、気仙沼市の中心部から南西2.5km、気仙沼湾を見下ろす丘陵地帯の一角にあります。主に現代美術を紹介しつつ、地域の歴史・民俗資料を常設展示する総合博物館的な側面も持ち、2006年以降、津波の災害史・文化史の調査研究を継続してきました。東日本大震災で施設も被災しましたが、発生直後の3月23日から約2年間で被災現場写真3万点、被災物約250点など膨大な調査資料を収集しました。そして2013年4月、それらの資料から厳選した約500点を「東日本大震災の記録と津波の災害史」として常設展示。「被災した物品は『がれき』ではなく誰かの大切な日常が詰まった被災物」と、記憶や思いを伝える物語を添えて公開しています。三陸沿岸部にとっては「津波」という現象も地域文化形成上の重要な要素であると捉え、施設全体の展示を見ることで地域と、人と自然災害について学ぶ工夫が凝らされています。

【対応言語:英語】
・英語のリーフレットがあります(「東日本大震災の記録と津波の災害史」及び「歴史・民俗資料常設展示」について)。
・英語の解説本(資料)(「東日本大震災の記録と津波の災害史」について)があります。

所在地:気仙沼市赤岩牧沢138-5
電話番号:0226-24-1611
開館時間:9:30-17:00(最終入館16:30)
休館日:月・火・祝日の翌日(土日、祝日を除く)
料金:入館無料/常設展観覧料 有料(詳細は施設のウェブサイトをご覧ください)
交通:JR気仙沼駅から車で約20分
HP:http://www.riasark.com

気仙沼市は―

 宮城県の最北端、北上山地の南東部に位置しています。世界三大漁場の三陸沖を抱え、水産加工から造船までの幅広い水産関連業が集積していることから、気仙沼漁港には全国から漁船が集まります。生鮮カツオ、メカジキ、サメ類は水揚高日本一(2022年)(※1)、カキやホヤ、ワカメの養殖も盛んです。水産業は古くから地域の重要な産業であり、人的交流や風土に根づいた文化も育んできました。
 東日本大震災では、市の内陸部まで達する巨大津波と地震発生後の大規模な火災により、死者は1,219人(震災関連死を含む)、行方不明者は214人となり、人的被害としては県内で石巻市に次ぐ2番目に大きな被害となりました。また、住家被害は全壊が8,483棟、半壊が2,571棟に上りました。(※2)
※1 出典:一般社団法人漁業情報サービスセンター
※2 出典:東日本大震災における被害状況 令和4年9月30日現在 (宮城県復興・危機管理部復興・危機管理総務課) 

 

モニュメント「祈りの帆(セイル)」

震災伝承関連施設

3

伝承彫刻「海へ」

気仙沼市復興祈念公園全景

 市街地の北に位置し、「航海の安全と大漁を祈願する」が名前の由来といわれる安波(あんば)山。市民から親しまれているこの山の麓「陣山」に、震災から10年目の2021年3月11日に開園したのがこの復興祈念公園です。津波火災等で壊滅的な被害を受けた鹿折地区・内湾地区を眼下に望み、地域の復興の様子を実感することができます。復興祈念の象徴として作られた高さ10mのモニュメントは「祈りの帆(セイル)」。船体に使用されるアルミ鋼材でできていて、モニュメント内部から水平線に向かい祈りを捧げることができます。また、お亡くなりになった方々の名前を生前にお住まいだった方角に並べた「犠牲者銘板」、震災の記憶を想起し語り継ぐための4基の「伝承彫刻」が設けられ、いつでも誰でも追悼の気持ちを寄せることができる自然豊かな公園になっています。

所在地:気仙沼市陣山264
電話番号: 0226-22-3401
交通:JR気仙沼駅から車で約10分(徒歩約30分)
HP:https://www.kesennuma.miyagi.jp/memorialpark/index.html

気仙沼市は―

 宮城県の最北端、北上山地の南東部に位置しています。世界三大漁場の三陸沖を抱え、水産加工から造船までの幅広い水産関連業が集積していることから、気仙沼漁港には全国から漁船が集まります。生鮮カツオ、メカジキ、サメ類は水揚高日本一(2022年)(※1)、カキやホヤ、ワカメの養殖も盛んです。水産業は古くから地域の重要な産業であり、人的交流や風土に根づいた文化も育んできました。
 東日本大震災では、市の内陸部まで達する巨大津波と地震発生後の大規模な火災により、死者は1,219人(震災関連死を含む)、行方不明者は214人となり、人的被害としては県内で石巻市に次ぐ2番目に大きな被害となりました。また、住家被害は全壊が8,483棟、半壊が2,571棟に上りました。(※2)
※1 出典:一般社団法人漁業情報サービスセンター
※2 出典:東日本大震災における被害状況 令和4年9月30日現在 (宮城県復興・危機管理部復興・危機管理総務課) 

 

商業施設「ないわん」全景

観光関連施設

4

商業施設「ないわん」周辺

商業施設「ないわん」周辺

 震災前は「港の顔」と言われた気仙沼市内湾地区。港町らしい風情を求め、観光客も多く訪れていました。しかし震災の大津波で多くの建物と日々の営みは流失し、まちの姿は一変。海とまちの連続性を確保し、内湾地区のにぎわいを取り戻すためにあらゆる方面から協議が重ねられ、まちの復興デザインが進められてきました。2020年7月にグランドオープンした商業施設「ないわん」は、防潮堤の上にできた気仙沼市の新たな観光拠点で、4つの施設で構成されています。遊覧船発着所側にある「迎-ムカエル」はテラスデッキから気仙沼湾が一望でき、海風を感じながらグルメを味わったり、ショッピングを楽しんだりできるスポット。道路をはさんだ「結-ユワエル」は、飲食店や雑貨店などが並び、地元と観光客とのコミュニティを『結』ぶ楽しい施設です。「拓-ヒラケル」には鮮魚店、クラフトビール醸造所、スムージーBarがあり、食文化の伝統と新しさを発信しています。「創-ウマレル」はまち・ひと・しごとの交流プラザで、コミュニティFMのスタジオもある公共施設になっており、ここから内湾地区の新しいムーブメントが始まっています。

所在地:気仙沼市南町海岸周辺
電話番号:0226-22-4560(気仙沼市観光協会)
交通:三陸自動車道気仙沼港ICから車で約9分
   三陸自動車道気仙沼鹿折ICから車で4分
HP:https://kesennuma-kanko.jp/naiwan/

気仙沼市は―

 宮城県の最北端、北上山地の南東部に位置しています。世界三大漁場の三陸沖を抱え、水産加工から造船までの幅広い水産関連業が集積していることから、気仙沼漁港には全国から漁船が集まります。生鮮カツオ、メカジキ、サメ類は水揚高日本一(2022年)(※1)、カキやホヤ、ワカメの養殖も盛んです。水産業は古くから地域の重要な産業であり、人的交流や風土に根づいた文化も育んできました。
 東日本大震災では、市の内陸部まで達する巨大津波と地震発生後の大規模な火災により、死者は1,219人(震災関連死を含む)、行方不明者は214人となり、人的被害としては県内で石巻市に次ぐ2番目に大きな被害となりました。また、住家被害は全壊が8,483棟、半壊が2,571棟に上りました。(※2)
※1 出典:一般社団法人漁業情報サービスセンター
※2 出典:東日本大震災における被害状況 令和4年9月30日現在 (宮城県復興・危機管理部復興・危機管理総務課) 

 

気仙沼ブリュワーズテーブル

観光関連施設

5

新鮮な魚介を使った料理(例)

酒造りの様子

 「気仙沼ブリュワーズテーブル(KESENNUMA BREWER’S TABLE)」は、気仙沼産食材をふんだんに使ったメニューで人気のレストランと、地元酒蔵がコラボした、地元食材×日本酒のペアリングディナーです。(洋食・和食のどちらかを選択可能)気仙沼市にある2つの酒造の店舗は、昔から地域のランドマークとして地元の方々に親しまれていましたが、2011年の東日本大震災で倒壊。その後再建を果たし、国登録有形文化財に指定されています。ディナー前には再建した建物の見学をしながら、スタッフと会話し、酒造りのこだわりや店舗再建までのストーリーに触れることができ、日本酒の購入もできます。ディナーでは、気仙沼市で水揚げされた魚介類を使った料理一品ずつに地酒がセレクトされ、気仙沼市ならではのペアリングを堪能できます。

所在地:気仙沼市魚町2丁目2-12
電話番号:0226-22-4560(気仙沼市観光協会)
交通:JR気仙沼駅から車で約10分

気仙沼市は―

 宮城県の最北端、北上山地の南東部に位置しています。世界三大漁場の三陸沖を抱え、水産加工から造船までの幅広い水産関連業が集積していることから、気仙沼漁港には全国から漁船が集まります。生鮮カツオ、メカジキ、サメ類は水揚高日本一(2022年)(※1)、カキやホヤ、ワカメの養殖も盛んです。水産業は古くから地域の重要な産業であり、人的交流や風土に根づいた文化も育んできました。
 東日本大震災では、市の内陸部まで達する巨大津波と地震発生後の大規模な火災により、死者は1,219人(震災関連死を含む)、行方不明者は214人となり、人的被害としては県内で石巻市に次ぐ2番目に大きな被害となりました。また、住家被害は全壊が8,483棟、半壊が2,571棟に上りました。(※2)
※1 出典:一般社団法人漁業情報サービスセンター
※2 出典:東日本大震災における被害状況 令和4年9月30日現在 (宮城県復興・危機管理部復興・危機管理総務課) 

 

ライトアップ

観光関連施設

6

愛称「かなえおおはし」

気仙沼湾を渡る、全長1,344mの橋

 気仙沼湾横断橋は、その名の通り気仙沼湾を渡る橋で、三陸沿岸道路の気仙沼港ICから浦島大島ICまでを結んでいます。全長1,344m、主塔から延びた鋼ケーブルで道路を吊り支える「斜張橋」としては東北最長です。2021年3月、この橋を含む「気仙沼IC~唐桑半島IC」間が開通し、「復興道路」として整備を進めていた宮城県内の三陸沿岸道路の全区間(約126km)がつながりました。宮城県仙台市と岩手県宮古市が高速道路で直結し、物流の効率化や交流圏の拡大、救急医療体制の強化など様々な効果が期待されます。
 また、公募により「かなえおおはし」という愛称も決定。気仙沼湾の別名である「鼎が浦」にちなみ、夢や希望、願いを「かなえる」という意味も込められています。日没前から夜間のライトアップが美しく、気仙沼市の新たなランドマークとなっています。

所在地:気仙沼市小々汐1三陸自動車道気仙沼港IC~浦島大島IC間
電話番号:0226-22-4560(気仙沼市観光協会)
HP:https://kesennuma-kanko.jp/kesennumawanoudankyo_open/

気仙沼市は―

 宮城県の最北端、北上山地の南東部に位置しています。世界三大漁場の三陸沖を抱え、水産加工から造船までの幅広い水産関連業が集積していることから、気仙沼漁港には全国から漁船が集まります。生鮮カツオ、メカジキ、サメ類は水揚高日本一(2022年)(※1)、カキやホヤ、ワカメの養殖も盛んです。水産業は古くから地域の重要な産業であり、人的交流や風土に根づいた文化も育んできました。
 東日本大震災では、市の内陸部まで達する巨大津波と地震発生後の大規模な火災により、死者は1,219人(震災関連死を含む)、行方不明者は214人となり、人的被害としては県内で石巻市に次ぐ2番目に大きな被害となりました。また、住家被害は全壊が8,483棟、半壊が2,571棟に上りました。(※2)
※1 出典:一般社団法人漁業情報サービスセンター
※2 出典:東日本大震災における被害状況 令和4年9月30日現在 (宮城県復興・危機管理部復興・危機管理総務課) 

 

気仙沼大島大橋

観光関連施設

7

気仙沼大島 地形

小田の浜海水浴場

 宮城県北東部の気仙沼湾内に位置する東北最大級の有人島で、三陸復興国立公園と海域公園に指定されています。島の海岸線は屈曲が著しく、自然が作り出した美しい景勝は見事で、島の東側にある「小田の浜海水浴場」は、環境省が選定した「快水浴場百選」の中でも特選(全国2位)の評価を受けました(2006年)。北部にそびえる亀山からは全島が一望でき、その景色は「緑の真珠」と詠われるほどです。
 観光地として人気の気仙沼大島でしたが、東日本大震災では細長い島の東西から押し寄せた津波で、島内は一時南北に分断され、山火事も起きるなど甚大な被害を受けました。また、本土との交通手段が船舶だけだったために孤立状態が続き、電気や水も断絶しました。このことから、本土と陸路でつながる必要性が再認識され、復興のシンボル事業として「大島架橋事業」が着手。ついに2019年4月に住民の半世紀来の悲願であった「気仙沼大島大橋(愛称「鶴亀大橋」)」が開通しました。白亜のアーチ橋は297m(アーチ支間長)と東日本一の長さで、津波の浸水高を考慮した高さになっています。この橋の完成により、住民の生活の利便性の向上や救急医療などの安全の確保はもちろん、観光交流や産業の活性化も期待されます。現在ではマリンアクティビティを楽しめる体験ツアーも盛んで、島をめぐりながら「震災講話」を聞けるプログラムもあります。

電話番号:0226-28-3000(気仙沼市観光協会 大島支部)
HP:http://www.oshima-kanko.jp/index.html

気仙沼市は―

 宮城県の最北端、北上山地の南東部に位置しています。世界三大漁場の三陸沖を抱え、水産加工から造船までの幅広い水産関連業が集積していることから、気仙沼漁港には全国から漁船が集まります。生鮮カツオ、メカジキ、サメ類は水揚高日本一(2022年)(※1)、カキやホヤ、ワカメの養殖も盛んです。水産業は古くから地域の重要な産業であり、人的交流や風土に根づいた文化も育んできました。
 東日本大震災では、市の内陸部まで達する巨大津波と地震発生後の大規模な火災により、死者は1,219人(震災関連死を含む)、行方不明者は214人となり、人的被害としては県内で石巻市に次ぐ2番目に大きな被害となりました。また、住家被害は全壊が8,483棟、半壊が2,571棟に上りました。(※2)
※1 出典:一般社団法人漁業情報サービスセンター
※2 出典:東日本大震災における被害状況 令和4年9月30日現在 (宮城県復興・危機管理部復興・危機管理総務課) 

 

唐桑半島ビジターセンター

震災伝承関連施設

8

 国立公園の自然や唐桑地域の漁労文化等を紹介する施設。(現在は改修のため休館中)震災によって被害を受けた漁港や商店街などの震災後の様子、四季を彩る植物などを写真で展示しています。

所在地:気仙沼市唐桑町崎浜4-3
電話番号:0226-32-3029(気仙沼市観光協会 唐桑支部)
開館時間: 現在は改修のため休館中
休館日: 現在は改修のため休館中
料金: 現在は改修のため休館中
交通:三陸自動車道唐桑半島ICから車で18分
HP:http://www.karakuwa.com/visiter/

気仙沼市は―

 宮城県の最北端、北上山地の南東部に位置しています。世界三大漁場の三陸沖を抱え、水産加工から造船までの幅広い水産関連業が集積していることから、気仙沼漁港には全国から漁船が集まります。生鮮カツオ、メカジキ、サメ類は水揚高日本一(2022年)(※1)、カキやホヤ、ワカメの養殖も盛んです。水産業は古くから地域の重要な産業であり、人的交流や風土に根づいた文化も育んできました。
 東日本大震災では、市の内陸部まで達する巨大津波と地震発生後の大規模な火災により、死者は1,219人(震災関連死を含む)、行方不明者は214人となり、人的被害としては県内で石巻市に次ぐ2番目に大きな被害となりました。また、住家被害は全壊が8,483棟、半壊が2,571棟に上りました。(※2)
※1 出典:一般社団法人漁業情報サービスセンター
※2 出典:東日本大震災における被害状況 令和4年9月30日現在 (宮城県復興・危機管理部復興・危機管理総務課) 

 

野杜海(のどか)

観光関連施設

9

気仙沼大島ウェルカム・ターミナル

気仙沼大島ウェルカム・ターミナル内の直売所

 気仙沼大島の玄関口、気仙沼大島ウェルカム・ターミナルエリアの南側に2019年7月にオープンした商業施設「野杜海(のどか)」。内湾に面した全体が芝に覆われていることから「野」、島の緑による「杜」、目の前に広がる水面の「海」、これらの自然をイメージして名づけられました。カフェや鮮魚店など、6店舗が集まっており、すべてのお店でコンセプトとして「地産地消」のおもてなしを心掛けています。新鮮な魚介はもちろんのこと、旬の野菜や気仙沼大島特産の柚子など地元の食材を生かし、域内経済の持続的な活性化も図っています。大島の美しい海を見ながらのんびり過ごす時間をお楽しみください。
 また、隣接する気仙沼大島ウェルカム・ターミナル内には、地元産の食材や加工品などを扱う直売店があり、買い物を楽しむことができます。

所在地:気仙沼市浦の浜363
交通:三陸自動車道浦島大島ICから車で約7分
三陸自動車道気仙沼鹿折ICから車で約9分

【野杜海(のどか)】
電話番号:090-6626-0853
営業時間:店舗により異なります
定休日:店舗により異なります
HP:https://kesennuma-nodoka.com/

【気仙沼大島ウェルカム・ターミナル】
電話番号:0226-28-9253
営業時間:9:00-17:00
定休日:現在は無休で営業中(2023年3月現在)

気仙沼市は―

 宮城県の最北端、北上山地の南東部に位置しています。世界三大漁場の三陸沖を抱え、水産加工から造船までの幅広い水産関連業が集積していることから、気仙沼漁港には全国から漁船が集まります。生鮮カツオ、メカジキ、サメ類は水揚高日本一(2022年)(※1)、カキやホヤ、ワカメの養殖も盛んです。水産業は古くから地域の重要な産業であり、人的交流や風土に根づいた文化も育んできました。
 東日本大震災では、市の内陸部まで達する巨大津波と地震発生後の大規模な火災により、死者は1,219人(震災関連死を含む)、行方不明者は214人となり、人的被害としては県内で石巻市に次ぐ2番目に大きな被害となりました。また、住家被害は全壊が8,483棟、半壊が2,571棟に上りました。(※2)
※1 出典:一般社団法人漁業情報サービスセンター
※2 出典:東日本大震災における被害状況 令和4年9月30日現在 (宮城県復興・危機管理部復興・危機管理総務課) 

 

道の駅大谷海岸

観光関連施設

10

直売所

目の前に広がる海水浴場

 東日本大震災の津波により壊滅的な被害を受けたこの道の駅は、10年の間、仮設店舗営業を続けてきましたが、2021年3月に新たにオープンしました。産直コーナーには、気仙沼市の海産物や野菜、加工品が豊富に並んでおり、併設する飲食スペースでは、港町ならではの、地場の新鮮な魚介を使用した定食を味わうことができます。観光情報コーナーにはスタッフが常駐しており、気仙沼市のおすすめ観光スポットやグルメ情報なども案内しています。すぐ目の前には、大谷海水浴場があり、広い砂浜で家族連れや団体で気軽に海を楽しむこともできます。
 とある有名アニメーション映画に登場した施設のモデルになったと言われており、話題となったことから、多くのファンも訪れています。

所在地:宮城県気仙沼市本吉町三島9番地
TEL:0226-44-3180
営業時間:産直市場9:00-18:00、カフェテリア10:00-17:00
定休日:年末年始(12月31日~1月2日)
HP:https://mitinoekiooya.jp/

気仙沼市は―

 宮城県の最北端、北上山地の南東部に位置しています。世界三大漁場の三陸沖を抱え、水産加工から造船までの幅広い水産関連業が集積していることから、気仙沼漁港には全国から漁船が集まります。生鮮カツオ、メカジキ、サメ類は水揚高日本一(2022年)(※1)、カキやホヤ、ワカメの養殖も盛んです。水産業は古くから地域の重要な産業であり、人的交流や風土に根づいた文化も育んできました。
 東日本大震災では、市の内陸部まで達する巨大津波と地震発生後の大規模な火災により、死者は1,219人(震災関連死を含む)、行方不明者は214人となり、人的被害としては県内で石巻市に次ぐ2番目に大きな被害となりました。また、住家被害は全壊が8,483棟、半壊が2,571棟に上りました。(※2)
※1 出典:一般社団法人漁業情報サービスセンター
※2 出典:東日本大震災における被害状況 令和4年9月30日現在 (宮城県復興・危機管理部復興・危機管理総務課) 

 

南三陸311メモリアル

震災伝承関連施設

11

遠くに海が見える展望デッキ(2階)

プログラムを提供する震災伝承ラーニングシアター

 2022年10月に開館した本施設は、町が復興の集大成とも位置づける震災伝承館。世界的建築家・隈研吾氏が2013年から手掛けてきた「南三陸町志津川地区グランドデザイン」を構成する施設です。2017年に先行して誕生した「南三陸さんさん商店街」の北側、中橋からのびる道路をはさんだ場所にあり、船のフォルムを思わせる美しい大屋根の建物がL字型に建ち、外壁には地元産の南三陸杉がふんだんに使われています。この施設の中央が「南三陸311メモリアル」で、その右棟がJR志津川駅、左棟が観光交流施設「南三陸ポータルセンター」で、このエリア一帯が、海と陸が切り離されないようなグランドデザインとなっています。
 本施設は東日本大震災の概要がわかるエントランスからはじまり、住民の記憶と経験を伝承する「展示ギャラリー」やフランスの現代美術家クリスチャン・ボルタンスキーによるインスタレーション空間「アートゾーン」が続きます。その隣にある「ラーニングシアター」では、被災住民の証言映像を見ながら、「もし自分がそこにいたら、どう考え行動するか」を考える体験型プログラムを実施していて、約60 分のレギュラープログラムと約30 分のショートプログラムがあります(見学時間を含む)。また、無料ゾーンの交流スペース「みんなの広場」や海を臨む「展望デッキ」も設けています。
 南三陸町の震災の記憶を後世へつなぐための学びのプログラムと現代アート作品を通して、自然と人間、いのちについて考える機会を提供し、教育旅行や団体研修などではワークショップも行われています(要予約)。

【対応言語:英語、中国語(繁体字)】
・ラーニングプログラムは英語と中国語(繁体字)の字幕入り上映も可能です。※要予約
・英語に切り替え可能な展示があります(QRコード読み取り)。

所在地:本吉郡南三陸町志津川字五日町200 -1
電話番号:0226-47-2550
開館時間:9:00-17:00
休館日:毎週火曜日、年末年始(12月29日~1月3日)
料金:有料(詳細は施設のウェブサイトをご覧ください)
交通: BRT志津川駅から徒歩1分
HP:https://m311m.jp/

南三陸町は―

 宮城県の北東部に位置し、志津川湾をぐるりと囲む地形でリアス海岸特有の美しい景観が広がります。また、標高300~500mの山々に囲まれ、町土の77%以上が森林です。町境は分水嶺となっていて、南三陸町に降った雨や雪解けの水のほとんどが志津川湾に注ぎこみます。森と里と海が一体となって豊かな自然環境を形成しています。
 東日本大震災では、巨大津波が町の中心部を襲い、死者は620人(震災関連死を含む)、行方不明者は211人となり、住家被害は全壊が3,143棟、半壊が178棟に上りました。(※) 町役場をはじめ、防災対策庁舎、警察署、消防署、病院や学校なども大きな被害を受け、多くの尊い人命や町の営みが失われ、復旧・復興は困難を極めました。
※出典:東日本大震災における被害状況 令和4年9月30日現在(宮城県復興・危機管理部復興・危機管理総務課)  

 

南三陸町震災復興祈念公園

震災伝承関連施設

12

広大な公園の中心にある「祈りの丘」

南三陸町旧防災対策庁舎

 南三陸町は1960年に発生したチリ地震を教訓に津波対策を進め、それを踏まえて防災対策庁舎は鉄骨3階建で建てられました。しかし、東日本大震災ではチリ地震津波の5.5mをはるかに超えた15.5mの津波が庁舎を襲い、防災無線で「高台へ非難してください」と呼びかけ続けた町職員33人を含む計43人が亡くなられました。現在の建物周辺はかさ上げの盛り土で囲まれ、大津波の脅威を感じさせる鉄骨の骨組みは、補強・塗装の塗り直しがされました。2031年まで宮城県の管理下で保存されることになっています。
 南三陸さんさん商店街の西側、かつて市街地があった場所には、追悼・鎮魂のための震災復興祈念公園が整備されました。約6.3haにも及ぶ広大な公園の中心にあるのは「祈りの丘」。海抜20mの築山の頂上には、東日本大震災犠牲者名簿を安置する石碑が追悼の言葉を添えて設置されています。一段低くなった位置にある「高さのみち」は志津川地区に襲来した津波の平均の高さ16.5mにあり、この歩道を歩くことで押し寄せた津波の高さを体感できます。目線の先には骨組みを残すだけの南三陸町旧防災対策庁舎があり、震災の記憶を呼び起こし継承する場となっています。

所在地:本吉郡南三陸町志津川塩入地内
電話番号:0226-46-1382(南三陸町 建設課)
交通:三陸自動車道志津川ICから車で約5分
   BRT志津川駅から徒歩約1分
HP:https://www.m-kankou.jp/view_spot/234397.html/

南三陸町は―

 宮城県の北東部に位置し、志津川湾をぐるりと囲む地形でリアス海岸特有の美しい景観が広がります。また、標高300~500mの山々に囲まれ、町土の77%以上が森林です。町境は分水嶺となっていて、南三陸町に降った雨や雪解けの水のほとんどが志津川湾に注ぎこみます。森と里と海が一体となって豊かな自然環境を形成しています。
 東日本大震災では、巨大津波が町の中心部を襲い、死者は620人(震災関連死を含む)、行方不明者は211人となり、住家被害は全壊が3,143棟、半壊が178棟に上りました。(※) 町役場をはじめ、防災対策庁舎、警察署、消防署、病院や学校なども大きな被害を受け、多くの尊い人命や町の営みが失われ、復旧・復興は困難を極めました。
※出典:東日本大震災における被害状況 令和4年9月30日現在(宮城県復興・危機管理部復興・危機管理総務課)  

 

多彩な商店が並ぶ南三陸さんさん商店街

観光関連施設

13

南三陸杉を使用した平屋6棟

県内外から観光客が訪れる

 震災前に地元にあった商店を中心に2012年に仮設商店街としてオープン。2017年、かつての町の中心地で震災後8.3mほどかさ上げされた高台の造成地に建築家・隈研吾氏設計による本設の商店街が誕生しました。南三陸杉を使用した平屋6棟に、ブランドグルメ「南三陸キラキラ丼」が楽しめる飲食店やスイーツ店のほか、鮮魚、かまぼこ、乾物、加工品、お土産など多彩な商品を扱う商店が並びます。
 2022年10月には、県内で18番目となる道の駅「さんさん南三陸」としてグランドオープン。南三陸さんさん商店街が産直機能を担い、新たに整備された敷地内には、防災・減災の学びと感謝を伝える伝承施設「南三陸311メモリアル」や観光案内所を併設した「南三陸ポータルセンター」、高速バスやBRT志津川駅の発着場となる交通ターミナルを設置しています。

所在地:本吉郡南三陸町志津川字五日町201-5
電話番号:0226-25-8903 ((株)南三陸まちづくり未来)
営業時間:店舗により異なります
交通:三陸自動車道志津川ICから車で約3分
   BRT志津川駅から徒歩約3分
HP:https://www.sansan-minamisanriku.com/

南三陸町は―

 宮城県の北東部に位置し、志津川湾をぐるりと囲む地形でリアス海岸特有の美しい景観が広がります。また、標高300~500mの山々に囲まれ、町土の77%以上が森林です。町境は分水嶺となっていて、南三陸町に降った雨や雪解けの水のほとんどが志津川湾に注ぎこみます。森と里と海が一体となって豊かな自然環境を形成しています。
 東日本大震災では、巨大津波が町の中心部を襲い、死者は620人(震災関連死を含む)、行方不明者は211人となり、住家被害は全壊が3,143棟、半壊が178棟に上りました。(※) 町役場をはじめ、防災対策庁舎、警察署、消防署、病院や学校なども大きな被害を受け、多くの尊い人命や町の営みが失われ、復旧・復興は困難を極めました。
※出典:東日本大震災における被害状況 令和4年9月30日現在(宮城県復興・危機管理部復興・危機管理総務課)  

 

祈念公園と道の駅をつなぐ「中橋」

観光関連施設

14

南三陸の杉をふんだんに使った美しいフォルム

夜には橋全体がライトアップ

志津川街区を貫くように流れる八幡川に架かる橋で、旧防災対策庁舎が遺る追悼・鎮魂のための「南三陸町震災復興祈念公園」と、対岸のにぎわいある道の駅「さんさん南三陸」をつなぐ木と鉄を組み合わせた人道橋です。建築家・隈研吾氏の設計によるもので、橋の上下に通路があるダブルデッキ構造となっており、橋自体が祈りの場としてデザインされました。南三陸杉をふんだんに使った美しいフォルムで、夜には橋全体がライトアップされ、幻想的な姿が浮かび上がります。南三陸の新たな復興のシンボルとなりました。

所在地:本吉郡南三陸町志津川塩入地内
電話番号:0226-46-1377(南三陸町 建設課)
交通:三陸自動車道志津川ICから車で約5分
   BRT志津川駅から徒歩約1分

南三陸町は―

 宮城県の北東部に位置し、志津川湾をぐるりと囲む地形でリアス海岸特有の美しい景観が広がります。また、標高300~500mの山々に囲まれ、町土の77%以上が森林です。町境は分水嶺となっていて、南三陸町に降った雨や雪解けの水のほとんどが志津川湾に注ぎこみます。森と里と海が一体となって豊かな自然環境を形成しています。
 東日本大震災では、巨大津波が町の中心部を襲い、死者は620人(震災関連死を含む)、行方不明者は211人となり、住家被害は全壊が3,143棟、半壊が178棟に上りました。(※) 町役場をはじめ、防災対策庁舎、警察署、消防署、病院や学校なども大きな被害を受け、多くの尊い人命や町の営みが失われ、復旧・復興は困難を極めました。
※出典:東日本大震災における被害状況 令和4年9月30日現在(宮城県復興・危機管理部復興・危機管理総務課)  

 

震災を風化させないための語り部バス

観光関連施設

15

最上階の屋上まで津波が押し寄せた高野会館

震災遺構を巡るツアー。時計はあのときの時間を指したまま止まっている

東北を代表する大型リゾートホテルであり、南三陸温泉が魅力の施設は1972年に開業。創業者はチリ地震津波(1960年)で被災した経験を基に、志津川湾を望む絶景だけでなく、この場所が高台で固い岩盤という理由でホテルを建設しました。東日本大震災では低層階が一部被災したものの、避難所の役割を果たし、その後の復興が進んでいく中でも多くの方々の拠点になりました。震災からまもなく、ホテルスタッフが語り部となる「震災を風化させないための語り部バス」の運行を始め、民間震災遺構「高野会館」も保存。震災伝承活動だけではなく、「学びの旅」の提供や持続可能な地域づくりにも取り組んでいる。

所在地:本吉郡南三陸町黒崎99-17
電話番号:0226-46-2442
交通:仙台駅から無料シャトルバス有(宿泊者利用)
HP:http://www.mkanyo.jp/

南三陸町は―

 宮城県の北東部に位置し、志津川湾をぐるりと囲む地形でリアス海岸特有の美しい景観が広がります。また、標高300~500mの山々に囲まれ、町土の77%以上が森林です。町境は分水嶺となっていて、南三陸町に降った雨や雪解けの水のほとんどが志津川湾に注ぎこみます。森と里と海が一体となって豊かな自然環境を形成しています。
 東日本大震災では、巨大津波が町の中心部を襲い、死者は620人(震災関連死を含む)、行方不明者は211人となり、住家被害は全壊が3,143棟、半壊が178棟に上りました。(※) 町役場をはじめ、防災対策庁舎、警察署、消防署、病院や学校なども大きな被害を受け、多くの尊い人命や町の営みが失われ、復旧・復興は困難を極めました。
※出典:東日本大震災における被害状況 令和4年9月30日現在(宮城県復興・危機管理部復興・危機管理総務課)  

 

幅広い業種の店舗が立ち並び商店街

観光関連施設

16

買い物や食事に訪れた人々でにぎわう様子

「歌津郵便ポスト」が展示されている

 南三陸町歌津地区の「伊里前福幸商店街」を引き継ぐ形で2017年にオープンした「南三陸ハマーレ歌津」。かさ上げされた海抜約7mの高台に建築家・隈研吾氏設計による本設の商店街が誕生しました。
 「ハマーレ」という名前には、「来て!はまって!一緒に仲間になろう」という呼びかけの気持ちが込められています。さらに、歌津に多い「浜」、イタリア語で「海」を意味する「マーレ」もかけ合わせられています。
 かつての商店街のにぎわいを再現するため、南三陸杉を用いた「縁側」があり、木のぬくもりを感じながら海が一望できます。また、併設する「かもめ館」には、震災で歌津から流出し、1年9ヶ月後に沖縄県西表島に漂着した「歌津郵便ポスト」が展示されています。飲食店、スイーツ、お土産、魚介類、野菜、衣料品、酒屋、電気屋など幅広い業種の店舗が立ち並び、地域の観光交流拠点となっています。

所在地:本吉郡南三陸町歌津字伊里前100-4
電話番号:0226-36-3117(南三陸ハマーレ歌津 事務所)
交通:JR気仙沼線、BRT歌津駅下車 徒歩約1分
HP:https://hamare-utatsu.com/

南三陸町は―

 宮城県の北東部に位置し、志津川湾をぐるりと囲む地形でリアス海岸特有の美しい景観が広がります。また、標高300~500mの山々に囲まれ、町土の77%以上が森林です。町境は分水嶺となっていて、南三陸町に降った雨や雪解けの水のほとんどが志津川湾に注ぎこみます。森と里と海が一体となって豊かな自然環境を形成しています。
 東日本大震災では、巨大津波が町の中心部を襲い、死者は620人(震災関連死を含む)、行方不明者は211人となり、住家被害は全壊が3,143棟、半壊が178棟に上りました。(※) 町役場をはじめ、防災対策庁舎、警察署、消防署、病院や学校なども大きな被害を受け、多くの尊い人命や町の営みが失われ、復旧・復興は困難を極めました。
※出典:東日本大震災における被害状況 令和4年9月30日現在(宮城県復興・危機管理部復興・危機管理総務課)  

 

食感を楽しめるフカヒレスープ

グルメ

17

ご当地グルメ フカヒレラーメン

部位ごとに旨さが違うフカヒレ寿司

 気仙沼市では、マグロやメカジキの延縄(はえなわ)漁業が盛んで、同様にサメ類も多く水揚げされます。次第にサメの加工業者が増え、その技術が切磋琢磨され「フカヒレの名産地」と言われるようになりました。また「室根おろし」と呼ばれる北西風がフカヒレの乾燥を促し、初冬に行われる天日干しは気仙沼市の風物詩となっています。部位ごとに旨さが違うフカヒレ寿司やフカヒレ丼、フカヒレラーメンなどご当地グルメが楽しめます。

問い合わせ先:気仙沼市観光協会
電話番号:0226-22-4560

気仙沼市は―

 宮城県の最北端、北上山地の南東部に位置しています。世界三大漁場の三陸沖を抱え、水産加工から造船までの幅広い水産関連業が集積していることから、気仙沼漁港には全国から漁船が集まります。生鮮カツオ、メカジキ、サメ類は水揚高日本一(2022年)(※1)、カキやホヤ、ワカメの養殖も盛んです。水産業は古くから地域の重要な産業であり、人的交流や風土に根づいた文化も育んできました。
 東日本大震災では、市の内陸部まで達する巨大津波と地震発生後の大規模な火災により、死者は1,219人(震災関連死を含む)、行方不明者は214人となり、人的被害としては県内で石巻市に次ぐ2番目に大きな被害となりました。また、住家被害は全壊が8,483棟、半壊が2,571棟に上りました。(※2)
※1 出典:一般社団法人漁業情報サービスセンター
※2 出典:東日本大震災における被害状況 令和4年9月30日現在 (宮城県復興・危機管理部復興・危機管理総務課) 

 

和食で新鮮な刺し身を楽しむ

グルメ

18

ギンザケ炙り丼

良質な脂が乗ったギンザケ

南三陸町は古くから養殖業が盛んな町ですが、1975年に世界で初めて南三陸町志津川地区がギンザケの養殖を始めました。現在では全国の養殖ギンザケの約90%が宮城県で生産されています。養殖に適した豊かな海を守りながら、餌の改良や養殖技術の改善を重ね、生産者の努力の末に高品質なギンザケが誕生しました。水揚げの際に「神経締め」と呼ばれる鮮度維持の処理をされたものは「みやぎサーモン」としてブランド化され、新鮮な刺し身で食べられる鮭として人気です。

問い合わせ先:南三陸町観光協会
電話番号:0226-47-2550

南三陸町は―

 宮城県の北東部に位置し、志津川湾をぐるりと囲む地形でリアス海岸特有の美しい景観が広がります。また、標高300~500mの山々に囲まれ、町土の77%以上が森林です。町境は分水嶺となっていて、南三陸町に降った雨や雪解けの水のほとんどが志津川湾に注ぎこみます。森と里と海が一体となって豊かな自然環境を形成しています。
 東日本大震災では、巨大津波が町の中心部を襲い、死者は620人(震災関連死を含む)、行方不明者は211人となり、住家被害は全壊が3,143棟、半壊が178棟に上りました。(※) 町役場をはじめ、防災対策庁舎、警察署、消防署、病院や学校なども大きな被害を受け、多くの尊い人命や町の営みが失われ、復旧・復興は困難を極めました。
※出典:東日本大震災における被害状況 令和4年9月30日現在(宮城県復興・危機管理部復興・危機管理総務課)  

 

うに丼

グルメ

19

秋旨丼

キラキラ春つげ丼

「現地に来ないと食べられない」グルメで南三陸町を盛り上げよう、と誕生したのが「南三陸キラキラ丼」。地元の新鮮な海産物をふんだんに使った、見た目も味も豪華でその名の通り“キラキラ”したどんぶりのことで、それぞれの店にこだわりがあります。2009年の「キラキラいくら丼」からスタートし、震災発災後は2012年の秋から再開、復興のシンボルにもなりました。季節ごとに春つげ丼、うに丼、秋旨丼、いくら丼と名前が変わり、旬ならではの美味しさを提供してくれます。

問い合わせ先:南三陸町観光協会
電話番号:0226-47-2550

南三陸町は―

 宮城県の北東部に位置し、志津川湾をぐるりと囲む地形でリアス海岸特有の美しい景観が広がります。また、標高300~500mの山々に囲まれ、町土の77%以上が森林です。町境は分水嶺となっていて、南三陸町に降った雨や雪解けの水のほとんどが志津川湾に注ぎこみます。森と里と海が一体となって豊かな自然環境を形成しています。
 東日本大震災では、巨大津波が町の中心部を襲い、死者は620人(震災関連死を含む)、行方不明者は211人となり、住家被害は全壊が3,143棟、半壊が178棟に上りました。(※) 町役場をはじめ、防災対策庁舎、警察署、消防署、病院や学校なども大きな被害を受け、多くの尊い人命や町の営みが失われ、復旧・復興は困難を極めました。
※出典:東日本大震災における被害状況 令和4年9月30日現在(宮城県復興・危機管理部復興・危機管理総務課)