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政宗は岩出山城の修築にあたり,城下には一の構,二の構と称して土塁を積んで敵の防御に備えました。内川の水は単にかんがい用としてのみでなく岩出山城の内堀としても防御の使命を持った軍事上の重要な施設でもありました。
政宗が居城を岩出山から仙台に移した頃には,耕土を開拓して糧食を豊かにし領民の生活を安定させるため,川の両岸に堤塘を築かせて洪水の氾濫を防いだり,運河を開いて舟楫(しゅうしゅう)に便したりするようになり,筏流し(いかだながし)や水車による流水利用が行われていたと記録されています。筏流しとは,内川に木材を投入して流下させるものです。この筏流しは大正時代まで継承されていたようです。これは管理者により年間を通じて内川への一定の水量を確保していたからこそできた技でありました。
また,内川沿いにある「旧有備館および庭園」は,1677年に岩出山伊達家二代宗敏の隠居所として建てられたと考えられる御改所などの建造物と,1715年に四代村泰が整備したとされる庭園からなる国指定の史跡及び名勝です。岩出山伊達家歴代当主の隠居所や下屋敷として使用されていました。この「旧有備館および庭園」の池の水は内川から引き入れられています。
旧有備館および庭園(写真提供:大崎市教育委員会)
そして,内川に生息するウグイ,鮒,鯉,鮎および川蟹やうなぎは地域住民の貴重な蛋白源を供給するものであり,子供たちにとっては遊び場でもありました。
このように内川は古くから多くの人の心の拠り所であり,それだけに水路保全のための努力が必要とされたのでした。
土地改良事業により景観に配慮した整備がなされた後も,内川の水の恵みは現在も地域にとって貴重なものとなっており,内川を後世に受け継いでいくために,住民も保全活動に積極的に取り組んでいます。地域住民が独自に「内川環境美化連絡会」を結成し,内川の水質保持,環境美化及び景観保全に努めています。この会は「内川を考える会」,「岩出山盆栽愛好会」,「岩出山野草愛好会」,「有備会」,「緑の少年団」及び「各種婦人会」で構成され,内川の清掃作業,遊歩道の除草等のボランティア活動を行っています。
また,大堰や内川周辺の農業用施設は大崎土地改良区が管理を行っています。
地域ぐるみの熱心な保全活動の甲斐もあり,内川は国内外で様々な認定を受けています。
平成18年には農林水産省が日本の農業を支えてきた代表的な疏水を選定する「疏水百選」に選定されました。(疏水とは,水田のかんがいや舟運のために,新たに土地を切り開いて水路を設け,通水させることをいいます。)
疏水百選|全国水土里ネット(全国土地改良事業団体連合会)(inakajin.or.jp)
平成28年には国際かんがい排水委員会(ICID)が,かんがい農業の発展に貢献し,卓越した技術により建設されたもので,歴史的・技術的・社会的価値のあるかんがい施設を登録する「世界かんがい施設遺産」に認証されました。
そして,平成29年には内川を含む大崎耕土が,「持続可能な水田農業を支える『大崎耕土』の伝統的水管理システム」としてFAO(国連食糧農業機関)が定める「世界農業遺産」に認定されました。
世界農業遺産は伝統的な農業によって育まれ,維持されてきた土地や技術・文化・生物などを「生きた遺産」のシステムとして次世代に繋いでいく取り組みです。日本では大崎耕土を含め,13地域の認定があります(令和4年7月現在)。大崎耕土では内川をはじめとした長年受け継がれてきた水管理システムが世界農業遺産の認定を導きました。
国内外が認めた内川,大崎耕土の伝統的な水管理をこれからも大切に育んでいくことが大崎耕土と共に生きていくことになります。
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