ここから本文です。
大崎市田尻小松明神
重要遺跡確認調査
令和7年9月2日~9月30日
宮城県教育委員会
調査中
北小松遺跡は、縄文時代初め頃から弥生時代初め頃にかけて営まれた遺跡です。今から3000〜2500年前の縄文時代終わり頃から弥生時代初め頃には、多数の建物跡や墓域、大規模なゴミ捨て場がつくられました。当時は遺跡の西側に大きな沼地が広がっており、その周囲には同時代の集落が点在していました。北小松遺跡はそうした集落のなかで拠点的なものであったと考えられます。
北小松遺跡は、この地域の歴史を考える上で欠かせない重要な遺跡です。過去に行われた調査は主に低地部に限られていたことから、県教育委員会では遺跡の全容を解明するため、まだ調査がほとんど行われていない丘陵部を中心に継続的に調査を行っていく計画で、今回の調査はその第2回目にあたります。昨年度は丘陵部の状況を確認する調査を行い、縄文時代終わり頃(晩期)の墓(土坑墓)3基以上、ゴミ捨て場の一部(遺物包含層)1か所、時期不明の小穴10基以上を確認しました。
今回の調査は、昨年度調査した地点から西に150mほどに位置する低地部よりやや高い丘陵裾で行っています。縄文時代の遺構の広がりや内容の確認を目的に実施しました。

遺跡と調査区の位置

表土掘削の様子

北小松遺跡の遠景と今回の調査区(南から)
写真右手前の水田は平成21年に調査され、ゴミ捨て場から大量の遺物が出土したほか、イヌのお墓、掘立柱建物跡などが見つかっています。今回の調査区は、水田に隣接する少し高い丘陵裾部分にあたります。調査の結果、現在は平坦な畑として利用されている場所ですが、当時は南の低地部に向かう緩やかな斜面だったことがわかりました。

調査区全景
今回の調査区では縄文時代の可能性のある土坑1基、時期不明の小穴10基以上を確認しました。小穴は杭のようなものを打ち込んだ跡とみられます。
今回の調査区は、傾斜地で遺構の数が少ないことが分かりました。これまでの成果と合わせると、縄文時代の遺構・遺物が分布する範囲を絞り込む手がかりを得ることが出来ました。
9月29日には地元住民の方向けに発掘現場を公開し、10名弱の方々に調査の様子を見学していただきました。
来年度以降の継続的な調査で、北小松遺跡の全容を明らかにしていきたいと考えています。
お問い合わせ先
より良いウェブサイトにするためにみなさまのご意見をお聞かせください
重要なお知らせ
こちらのページも読まれています