ページの先頭です。 メニューを飛ばして本文へ

2021年発掘調査情報

印刷用ページを表示する 掲載日:2021年7月30日更新

〈復興調査について〉

1.基本方針

 東日本大震災発生後,宮城県教育委員会としては,復興事業と埋蔵文化財保護を両立し,高台移転や復興道路などの復興事業に伴う発掘調査の円滑・迅速な実施に取り組んでまいりました。

2.円滑・迅速な発掘調査のための施策

(1)宮城県発掘調査基準の弾力的な運用

 復興事業に限り,遺跡が壊される範囲(平面・深さ)のみを調査対象とします。これにより,盛土施工部分や下層の調査等を省略することが可能になるため,調査期間の短縮が見込まれます。

3.主な復興事業に伴う調査

・ 復興道路建設事業に伴う調査(県市町道建設)

・ 被災した個人住宅,零細・中小企業の再建事業に伴う調査

・ その他復興事業に伴う調査

〈発掘調査の進捗状況〉 

 令和3年度に宮城県教育委員会が実施した発掘調査と, 県内市町に協力をした発掘調査の状況を掲載しています。また、野外での発掘調査終了後に実施している、室内での整理作業の状況についても掲載します。

A.復興事業に伴う発掘調査

 1.大久保貝塚(南三陸町)  大久保貝塚の発掘調査概要資料

 2.中沢遺跡(石巻市)

 

B.通常事業に伴う発掘調査

 1.彦右エ門橋窯跡(大衡村) 

 第1号  第2号

 

 

A.復興事業に伴う発掘調査

1.大久保貝塚

【基本情報】
所在地本吉郡南三陸町志津川字大久保
調査原因水尻川河川災害復旧工事
調査期間令和元年9月9日~令和2年7月28日
調査主体宮城県教育委員会
調査協力南三陸町教育委員会
調査面積約150平方メートル

【調査概要】

・大久保貝塚は,志津川湾の湾奥部,水尻川の南岸に位置する縄文時代の貝塚で,河口に面した丘陵の裾部に貝層が形成されています。

・今回の調査は,東日本大震災に伴う河川災害復旧工事に先だって実施したものです。令和元年9月に開始した発掘調査は,令和2年7月28日に完了しました。

*発掘調査の概要資料はこちら 【調査概要資料】大久保貝塚発掘調査概要資料 [PDFファイル/3.77MB](なお,資料の著作権は宮城県が保有しておりますので、二次配付・無断転載は禁じられています。)

・調査の結果,貝層は上部と下部の大きく2つに分けられ,上部の貝層が縄文時代晩期,下部の貝層が後期に形成されたことがわかりました。

・上部の貝層からは,縄文土器,石器,骨角器(動物の骨や角で作った道具や装飾品)や,アサリ・カキなどの貝類,シカ・イノシシなどの動物の骨,イワシ・アイナメ・マグロなどの魚の骨が大量に出土しています。貝層に残された道具や食料を調べることで,当時の人びとの暮らしぶりを知ることができます。

・今年度は,調査後に室内で実施している整理作業について紹介します。

整理作業通信 第1号 

発掘調査で遺跡から発見された遺構・遺物の情報や明らかになったことなどは、発掘調査報告書にまとめ公表します。整理作業はその発掘調査報告書を作るための作業であり、野外調査よりも長い期間を必要とする場合もあります。大久保貝塚の場合は、大量の遺物が出土したことから(整理用コンテナで1,000箱以上)、約1年間の野外調査に対して、3年以上の整理期間が必要となる見込みです。図(1)に大久保貝塚出土遺物の整理作業から発掘調査報告書の刊行までの大まかな流れを示しました。

整理作業の工程

図(1)

第1回目の今回は大久保貝塚から出土した土器の接合作業について紹介します。接合作業は、破片の状態で出土した土器を元の立体的な姿に復元する作業であり、器としての形や文様などの特徴を明らかにするとともに図面作成や写真撮影を行い、報告書に掲載できるようにするための工程の一つです。

 

写真(1)

写真(1) 大久保貝塚からは整理用箱約170箱分も縄文土器が出土しています。それらは、当時の人々が使って壊れたり、貝塚に捨てられてから土に埋まった後にも割れたりするため、多くは破片の状態で見つかります。写真は見つかった土器の一部をテーブルに広げているところです。

 

写真(2)

写真(2) まずは大量の破片の中から、形状・文様の特徴・色合い・厚さなどが似ているものを集めてきます。出土地点が近いものを中心に、破片同士がくっ付くかどうか試してみて、付くことが分かった破片にはチョークで目印を付けたりします。

 

写真(3)

写真(3) 破片が揃ってきたら、破片をひとつずつ接着剤で接着していきます。立体的な姿にうまく組み上げていくのは、なかなかコツのいる作業です。場合によっては微調整を繰り返しながら、より正確に本来の形状を復元していきます。

 

写真(4)

写真(4)

 

写真(5)

写真(5)

 

写真(6)

写真(6)

これらの写真は完全に近い形まで復元できた土器です。写真(4)は深鉢と呼ばれる土器で、煮炊きに使われていました。写真(5)は貯蔵用と考えられる大型の壺で、上半部まで復元できました。写真(6)は盛り付け用の浅鉢と呼ばれる土器で、底を上にしています。表面に文様が描かれているのが分かります。

土器の形や文様は時代や地域によって様々です。そのため、出土した土器の特徴を知ることで、その遺跡の残された年代を知ることができます。大久保貝塚の土器は、その特徴から縄文時代晩期の後半に属すると考えられます。

接合作業は現在のところ全体の3分の1が終了しており、今年度の秋ごろまで続いていく予定です。

2.中沢遺跡

【基本情報】
所在地石巻市給分浜字中沢
調査原因県道石巻鮎川線給分浜復興道路事業
調査期間令和3年6月21日~
調査主体石巻市教育委員会
調査協力宮城県教育委員会
調査面積約94平方メートル

【調査概要】

・中沢遺跡は牡鹿半島南西部、海を望む丘の上に立地する縄文時代の遺跡です。平成24・25年度には防災集団移転に伴う発掘調査が行われ、縄文時代前期を中心とした集落跡であることが明らかになりました。

・今回、東日本大震災からの復興を目指す「復興道路」事業が前回調査箇所の東側で計画され、やむを得ず遺跡が壊されることとなったことから、遺跡の記録を残すための本発掘調査を令和3年6月から開始しました。

・調査では、前回の調査で検出した遺物包含層の続きを確認しました。遺物は、縄文土器(前期の大木1~3式が中心)や石器が出土しています。

調査区周辺

〔調査区周辺の様子(南から)〕調査は復興道路建設予定区内で実施しています。(写真提供:石巻市教育委員会)

 

調査区全景

〔調査区全景(上が東)〕 全体の調査面積は約94平米になります。(写真提供:石巻市教育委員会)

 

作業風景

〔作業風景〕 縄文土器や石器を傷つけないように、竹べらなどの道具を使いながら慎重に取り上げていきます。(写真提供:石巻市教育委員会)

 

遺物出土状況

〔遺物出土状況〕 土器が潰れた状態で出土しました。(写真提供:石巻市教育委員会)

 

出土した縄文土器

〔出土した縄文土器〕 付着していた土を取り除いた土器の表面には縄目の文様がくっきりと残っています。(写真提供:石巻市教育委員会)

 

A.通常事業に伴う発掘調査

1.彦右エ門橋窯跡

【基本情報】
所在地黒川郡大衡村大衡字萱刈場
調査原因国道4号拡幅工事
調査期間令和3年7月1日~
調査主体宮城県教育委員会
調査協力大衡村教育委員会
調査面積調査中

【調査概要】

・彦右エ門橋窯跡は大衡村役場から約4.6km北側の小高い丘の上に立地する、奈良時代から平安時代の土器(須恵器)や瓦を焼いた窯跡です。遺跡西側を南北方向に走る国道4号線の拡幅工事に伴い、令和元年度から継続して発掘調査を実施しています。

・調査では,遺構の分布や種類、年代などを確認しながら、昨年度までの調査成果と合わせて、土器や瓦を焼いた古代の生産遺跡の様子を明らかにしていきます。

発掘現場通信 第1号 

 

 今年も大衡村彦右エ門橋窯跡の調査がはじまりました。

 昨年、好評をいただいた「発掘現場通信」を今年も更新していきます!

 どうぞよろしくお願いします。

 

今年度調査区の空撮写真

(今年度の調査区位置:南から撮影)

彦右エ門橋窯跡では、これまでの調査で奈良時代の終わりから平安時代(約1200年前)頃の土器づくりにかかわる施設等の痕跡(遺構)が多数みつかっています。

今年度は令和元年度調査区(写真南側の緑枠部分)と令和2年度調査区(写真北側の赤枠部分)に挟まれた範囲(青枠部分)を調査します。

令和元年度調査区は丘陵下の低地部分にあたり,多数の土師器焼成遺構(土師器を焼いた穴)や古代の河川跡などがみつかりました。(令和元年度成果概要 [PDFファイル/2.02MB]

令和2年度調査区は丘陵上の平坦面にあって、ここでは土師器焼成遺構のほか、多数の竪穴建物跡がみつかりました。建物跡からは、土器づくりに使われる粘土や、土器の整形に使われるロクロを据える穴などがみつかっており、建物は土器の製作工房と考えられました。(令和2年度成果概要 [PDFファイル/2.42MB]

今回の調査区は、丘陵の平坦面と低地部分に挟まれた斜面にあたります。この遺跡がどのような使われ方をした場であったのか、過去の調査成果を活かしながらこれからの調査で明らかにしていきたいと思います。

なお、遺跡名は窯跡となっていますが、窯跡そのものはこれまで調査した範囲ではみつかっていません。地形や地表面で拾われている土器の散布状況などから、窯跡は写真青枠の左側(丘陵西端)の林の斜面に存在していると考えられます。

 さあ、今年はどんな発見があるのか・・・。

調査の進捗状況や調査の成果を、写真を交えながら紹介していきますので、是非、またご来訪ください!

発掘現場通信 第2号

 

今年度の調査が始まって二ヶ月ほどが経過しました。重機を使った表土除去作業が完了し、現在は遺構の検出作業を行っています。

 検出状況1

 (表土除去直後の検出作業:東から撮影)

重機で表土を除去した後、ジョレンやカッツァという道具を使い人力で地面を薄く丁寧に削ります。そうすると、土どうしの色、粒の大きさや混じり方の違いがみえてきます。

上の写真では、地面の色の濃淡がまだハッキリしていませんが、何度かきれいに地面を削っていくと下の写真のように線が引けるくらい明瞭になり、様々なかたちの範囲がみえてきました。

検出状況2

(検出作業終了後の様子:東から撮影 *白線は写真上であとから引いたものです。)

こうした土の違いは、昔の人々が地面を掘ったのちに、周りとは異なる土が流れ込んだり、埋められたりしたことにより生じます。

土の違いによる線の重なりが多くみられますが、今後、この重なった土を上から順番に(新しい時代から)掘り下げていきます。

さて、これらは一体、何のために掘られたのでしょうか?住居跡か?排水溝か?はたまたゴミ捨て穴か?

次回は、掘り下げた状況をご覧いただけると思います。

是非、またみに来てください!

 

 

 

意見をお聞かせください

お求めの情報が十分掲載されていましたか?
ページの構成や内容、表現は分かりやすいものでしたか?
この情報をすぐに見つけることができましたか?

※1いただいたご意見は、より分かりやすく役に立つホームページとするために参考にさせていただきますので、ご協力をお願いします。
※2ブラウザでCookie(クッキー)が使用できる設定になっていない、または、ブラウザがCookie(クッキー)に対応していない場合はご利用頂けません。


Adobe Reader

PDF形式のファイルをご覧いただく場合には、Adobe社が提供するAdobe Readerが必要です。
Adobe Readerをお持ちでない方は、バナーのリンク先からダウンロードしてください。(無料)