ここから本文です。

多賀城跡調査研究所のあゆみ

多賀城跡調査研究所の歴史と事業概要についてご説明します。

多賀城跡調査研究所設立のきっかけ

昭和35年、宮城県教育委員会は当時の多賀城町と河北文化事業団と協力し、東北地方の歴史の原点とも言える多賀城跡とその付属寺院である多賀城廃寺跡(当時は高崎廃寺跡と呼んでいました)の学術調査を始めることにしました。

昭和36年度からは本格的な発掘調査を開始し、昭和36・37年には高崎廃寺跡、昭和38年から昭和40年までは多賀城政庁跡を調査し、建物の配置や変遷を解明することに成功しました。

当時、古代の遺構についての考古学的な調査方法は確立されていませんでしたので、多賀城政庁跡の調査結果は画期的な成果として全国的に注目されました。


これらの成果により、多賀城跡と多賀城廃寺は昭和41年に国の特別史跡に指定されました。これを受け、地元の多賀城町では新たに「特別史跡多賀城跡附寺跡環境整備委員会」を組織して環境整備をおこなうこととし、それに先立つ発掘調査を昭和41~44年におこないました。

そして、昭和44年、これら一連の調査を継承する組織として宮城県教育委員会が「宮城県多賀城跡調査研究所」を設立したのです。

 

発掘調査風景(昭和36~38年頃)

発掘調査風景昭和36年から38年頃

多賀城跡調査研究所の仕事

宮城県では史跡の総合的な研究を目指して「多賀城跡調査研究委員会」を設置し、その指導の下で宮城県多賀城跡調査研究所が5年ごとに中期目標を掲げた調査5ヵ年計画を立案し、計画的な発掘調査を継続しています。

これに加え昭和45年からは、多賀城跡を一般の方々に親しまれる史跡公園として整備するための「多賀城跡環境整備事業」を開始し、同じく5年ごとに整備計画を立案し、史跡の環境整備事業を進めています。

整備にあたっては、史跡を探訪する方々が、東北地方の悠久の歴史に思いを馳せることができるよう、調査研究成果に基づいた施設の復元を心がけ、園路沿いに説明板・あずまや・トイレなどを配置しています。このように、多賀城跡調査研究所は、調査と整備を連動させる形で事業を継続しています。

さらに、昭和49年からは、多賀城と密接な関連をもつ宮城県北部の城柵・官衙遺跡(伊治城跡・桃生城跡・名生館官衙遺跡・東山官衙遺跡)や多賀城の屋根瓦を生産した遺跡(日の出山窯跡群・下伊場野窯跡・木戸窯跡群・大吉山瓦窯跡)についても計画的な発掘調査を継続しています。

多賀城跡調査研究所のこれから

平成31年4月、当研究所は設立50周年という節目を迎えました。特別史跡多賀城跡の指定範囲は総面積で約1,070,000平方メートルという広大な範囲に及んでいます。

言うまでもなく、この地域は、特別史跡である以前に、先祖代々この地に居を構えてきた地域住民の皆さんの生活の場でもあります。広大な特別史跡の調査を継続し、よりよいかたちで貴重な遺跡を未来に継承していくために、地元住民の皆さんのご理解とご協力は不可欠です。

多賀城では市民の皆さんが特別史跡の顕彰、除草・清掃・美化などの作業に積極的に参加されています。また、こうした作業を、史跡を管理する多賀城市教育委員会やNPOなどの関係者の皆さんが支えています。宮城県多賀城跡調査研究所は、こうした市民・住民の皆さんと共に、特別史跡多賀城跡の魅力を掘り起こし、整備し、情報を発信する作業を、地道に進めていきたいと思います。

多賀城跡調査研究所の沿革

・1922年10月:多賀城跡が史蹟名勝天然紀念物保存法(大正8・4公布)により史蹟指定、指定名称「多賀城跡附寺跡」
・1960年:県教委が「多賀城跡発掘調査委員会」を組織して5ヵ年計画で多賀城跡の発掘調査を実施することになり、その初年度事業として多賀城跡と多賀城廃寺跡の地形図を作成
・1961年8月:多賀城廃寺跡第1次発掘調査実施(県教委主体、多賀城町と河北文化事業団共催。調査団長は伊東信雄東北大学教授)
・1963年8月:多賀城跡政庁地区発掘調査(第1次)開始、以後1965年8月(第3次)まで実施、政庁地区の朝堂院的な建物配置が判明
・1966年4月:多賀城跡附寺跡特別史跡に昇格指定
・1969年4月:宮城県多賀城跡調査研究所設立
・1969年7月:多賀城跡調査研究指導委員会設置(委員長伊東信雄)、研究所による多賀城跡調査研究事業開始
・1970年4月:研究所による多賀城跡環境整備事業開始
・1974年2月:外郭西辺地区の追加指定が官報告示
・1974年4月:多賀城関連遺跡発掘調査事業開始
・1974年8月:プレハブ庁舎から東北歴史資料館の建物に移転
・1976年3月:特別史跡多賀城跡附寺跡保存管理計画書策定
・1978年4月:研究第一科・同第二科の2科制となる、遺構調査研究事業開始
・1978年6月:漆紙文書の発見を報道発表、これにより研究所が山本壮一郎知事から表彰を受ける
・1980年3月:館前遺跡の追加指定が官報告示
・1984年3月:多賀城跡南面地域の追加指定が官報告示
・1987年8月:名生館官衙遺跡の史跡指定が官報告示
・1988年3月:特別史跡多賀城跡附寺跡第2次保存管理計画書策定
・1990年6月:柏木遺跡の追加指定が官報告示
・1992年11月:日本最古の「かな」漆紙文書について報道発表
・1993年9月:山王千刈田地区の追加指定が官報告示
・1998年6月:多賀城碑の重要文化財(古文書)指定が官報告示
・1999年1月:東山官衙遺跡の史跡指定が官報告示
・1999年4月:2科制が廃され研究班となり、東北歴史博物館の建物に移転
・2002年1月:「多賀城跡等の発掘調査を通して東北古代史の解明に尽くした功績」により第51回河北文化賞を受賞
・2003年6月:伊治城跡の史跡指定が官報告示
・2005年4月:多賀城跡調査研究指導委員会を廃し、宮城県条例第13号により多賀城跡調査研究委員会を設置
・2010年9月:多賀城跡調査50周年記念事業開催、第82次調査で新たな外郭東門を発見
・2011年3月:『多賀城跡木簡1』刊行
・2012年5月:東日本大震災の復旧工事に伴い政庁正殿跡を再調査、宝亀11(780)年の火災による正殿の焼失と建て替えを確認
・2013年3月:『多賀城跡木簡2』刊行
・2014年2月:多賀城跡出土木簡と多賀城跡出土漆紙文書の県指定有形文化財(古文書)指定が官報告示(平成26年2月25日)
・2014年3月:『多賀城跡木簡3』刊行
・2016年2月:鎮守府の文書函について報道発表
・2016年2月:特別史跡多賀城附寺跡整備基本計画を策定
・2017年3月:『多賀城跡ー外郭跡1南門地区ー』刊行
・2018年3月:『多賀城跡ー政庁南面地区城前官衙遺構・遺物編ー』刊行
・2019年3月:『多賀城跡ー政庁南面地区城前官衙総括編ー』刊行
・2020年3月:設立50周年記念事業『多賀城跡ー発掘のあゆみ2020ー』および『多賀城跡調査研究所ー沿革史ー』刊行『多賀城施釉陶磁器』刊行、第93次調査で新たな外郭西北門を発見
・2021年3月:『多賀城跡ー政庁南面地区3政庁南大路・南北大路ー』および『特別史跡多賀城跡附寺跡緑化修景基本方針』刊行
・2022年3月:多賀城跡出土漆紙文書の重要文化財(美術工芸品:古文書)指定が官報告示
・2023年6月:多賀城跡出土木簡の重要文化財(美術工芸品:古文書)指定が官報告示
・2024年8月:多賀城碑の国宝指定、多賀城跡出土品の重要文化財(美術工芸品:考古資料)指定が官報告示

お問い合わせ先

多賀城跡調査研究所研究班

多賀城市高崎一丁目22-1

電話番号:022-368-0102

ファックス番号:022-368-0104

より良いウェブサイトにするためにみなさまのご意見をお聞かせください

このページの情報は役に立ちましたか?

このページの情報は見つけやすかったですか?

information retrieval

このページに知りたい情報がない場合は