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みやぎ蔵王三十六景旅のしおり

印刷用ページを表示する 掲載日:2012年9月10日更新

 仙南地域のシンボル・蔵王を背景にした36箇所のビュースポット「みやぎ蔵王三十六景」。この絶景スポットにまつわる歴史や逸話などをまとめた小冊子 「旅のしおり~地元に伝わる教えたい話~」が完成しました。
 それぞれのスポットにちなんだ,地元ならではの物語がぎっしり。宮城大生が提案するおすすめドライブプランも掲載しています。
 「しおり」の中に,ゆっくりと訪れてみたいあなただけの場所が必ず見つかるはず。仙南地域の観光案内所や道の駅などで配布しております。 詳しくは下記までお問い合わせください。

地元に伝わる教えたい話

No.1 川原子ダム/白石市

川原子ダム

奥羽の薬湯 鎌先温泉の始まり
 川原子ダム(農業用ダム)の湖面に映る南蔵王不忘山。その麓に湧き出る鎌先温泉の伝説。600年以上も昔,桜が咲き誇り,鶯のさえずりが艶めく頃, 一人の農夫が山で木を伐採していました。のどが渇き,水を求めて沢を探すと,岩から湯気が出ている。 農夫が腰に差していた鎌で岩を突くとこんこんと湯が湧き出したのが,鎌先温泉の始まりと言われています。「キズに鎌先」といわれ, 奥羽の薬湯として人気です。
 夜は温泉街がライトアップされ,幻想的な雰囲気に包まれます。
 白石市には,源義経の家来が発見したとの伝説が残る小原温泉,弘法大師の伝説が残る白石湯沢温泉など, 湯量豊富で風光明媚ないで湯が数多くありますので,お立ち寄りください。

 

No.2 北白川/白石市

北白川

菊面石の伝説
 球状閃緑岩(きゅうじょうせんりょくがん),通称「菊面石(きくめんせき)」。白石のほかは, 今ではフランスのコルシカ島でのみ産出されると言われる大変珍しい石です。
 白川地区にはこの石にまつわる伝説があります。
 文禄4(1595)年,犬卒都婆(いぬそとば)宮の沢屋敷の平右衛門・安右衛門兄弟が,田んぼにネギの花が咲く夢を三晩続けて見ました。 そこで田んぼを掘ってみると菊の模様のある立派な石が出てきました。兄弟は,この石をご神体として菊面石神社を建てました。 この田を尊田(とうでた)といい,神田とし大切に耕作しており,その家では今でもネギを食べない習慣があるといいます。菊面石は, いきいきプラザで見学できます。
 北白川の水田地帯にはソバが植えられ,開花期には一面に白い清楚な花が咲き誇り,緑の蔵王とのコントラストが美しい風景となります。

 

No.3 東白石駅/白石市

東白石駅

羽山神社物語
 蔵王が雪化粧する頃,東白石駅に降り立つと白石川で白鳥が羽を休めている美しい景色が広がります。そこから足をのばすと,羽山神社があります。
 大正時代,日照りが続き田植えができず,大勢で権現山に登り羽山神社の前で「八大龍,大雨降らせたまえ」と天に向かって叫んだところ, 急に空が曇り雷鳴とともにすさまじい雨が降ったという雨乞い伝説が残っています。
 毎年11月8日には,伝統行事である「権立(ごんだち)」が行われます。7歳になる男子は,一升餅を7つに丸めて背負い,神社への坂道を登ります。 子供が7歳まで無事成長したことを神様に感謝し,これからも健やかに育つように祈願します。

 

No.4 阿武隈川東岸・菜の花畑/角田市

阿武隈川東岸・菜の花畑

残雪の蔵王と菜の花の黄色いじゅうたん
 毎年4月下旬から5月上旬にかけて,角田橋下流の右岸河川敷に広がる3.2haに,地元青年会が丹精こめて育てた菜の花約250万本が一面に咲き誇ります。
 当時の市長が河川敷を有効に使いたいと,地元青年会に働きかけ菜の花の栽培をしたのがきっかけでした。
 残雪を冠した雄大な蔵王と青空,菜の花の黄色が溶け合う風景は,角田の春の風物詩になっています。
 ゴールデンウィーク期間中開催される「菜の花まつり」では,地場産品の販売やコンサート,菜の花迷路など,盛り沢山のイベントが行われ, 大勢の観光客で賑わいます。

 

No.5 四方山/角田市

四方山

これぞ絶景! 360度の大パノラマ
 角田市の東部,亘理町・山元町との境に位置する標高272mの四方山。戦時中,頂上には高射砲が設置されていたこともあり, その見晴らしはまさに絶景です。東に太平洋の大海原,西に雄大な蔵王連峰の大パノラマが楽しめます。
 平成22(2010)年12月,四方山の西斜面の一角に,東京都目黒区との友好の証である「めぐろエコの森」を創設し, ヤマザクラ40本を植栽しました。
 以前から桜の植栽は進んでおり,今では角田市屈指の桜の名所にもなっています。

 

No.6 内町湖/角田市

内町湖

雄大な蔵王と白鳥たち
 内町湖(約11ha,周囲1.7km)は,谷川を堰き止めてつくられた人造湖です。冬には白鳥やマガモ,オナガなど沢山の水鳥が越冬にやってきます。
 また,ここ金津地区では,藩政時代より続いている古式ゆかしい七夕祭り「金津七夕」が毎年8月の第1土曜日に開催されます。 地元子ども会手作りの七夕飾りが飾られ,夕刻になると約50人の子どもたちが提灯や竿灯を持ち,拍子木にあわせて, 新古今集に収められている短歌の一首「七夕のと渡る舟の梶の葉にいく秋かきつ露の玉づさ」を唱和しながら,金津の町を何度も練り歩きます。
 この七夕は織姫と彦星の「星祭り」ではなく,むしろ邪霊を鎮送する送り行事であり,県内では他に例のない貴重な民俗行事です。 宮城県の無形民俗文化財(風俗慣習)に指定されています。

 

No.7 御釜(おかま)

御釜(おかま)

世界にもまれな火口湖
 御釜は,その名のとおり釜状の形をした周囲約1kmの火口湖です。火山活動は約100万年前から始まったとも言われていますが, 記録にあるだけでも過去26回の噴火を繰り返してきました。
 湖面の水はエメラルドグリーンに輝き,その色調は季節によって変わるため,「五色沼」とも呼ばれています。 水質は強い酸性のため生物は生息していません。また,一定の水深を過ぎると,深度を増すほど水温が高くなっていくという,世界にも類いまれな湖です。
 御釜は,霧に包まれていることが多く,4回足を運んで1回見られればよいと言うバスガイドさんもいます。1度で見られなくても, あきらめず何度でも挑戦してみてはいかがでしょうか?

 

No.8 刈田嶺神社

刈田嶺神社

伊達宗高公命願の跡
 御釜の南側,高さ1758mの刈田岳。「蔵王堂古記録」によれば,元和元(1615)年から6年間噴火が続き,大きな被害が出ました。
 伊達政宗から鎮静を命じられた七男宗高(村田城主)が岳に登り,命を天に捧げることを誓い,火山鎮護を祈ったところ,噴火が止まりました。 このため,宗高は,人々から深い信頼を集めていましたが,1626年,19歳の若さで亡くなりました。刈田嶺山頂には, 「伊達宗高公命願の跡」という碑が建立され,後世に遺徳を伝えています。
 また,宗高が眠る龍島院(村田町)では,8月17日の命日に合わせ「伊達宗高公まつり」が開催されます。

 

No.9 大黒天/蔵王町

大黒天

刈田岳への登り口
 標高1432m。石造りの小さな大黒様が祀ってあることからこの名がつきました。周辺には供養の石碑群が立ち並んでいます。
 ここは刈田嶺神社がある刈田岳への登り口でもあります。登山者に比較的優しい登山ルートとして初心者からベテランまで親しまれています。 40分くらいで1758mの山頂にたどり着け,そこからは,蔵王火山の心臓部「御釜(おかま)」を見ることができます。

 

No.10 駒草平/蔵王町

駒草平

花言葉は「誠実」 コマクサの群生地
 蔵王連峰には,イワカガミやチングルマなど数多くの高山植物が自生していますが,中でも駒草平には, 蔵王の代表的な高山植物「コマクサ」の群生地があります。
 花の姿が馬(駒)の顔に似ていることから名前が付けられ,花言葉は「誠実」。荒涼とした大地に可憐なピンクの花を咲かせ, 訪れる人々を楽しませてくれます。見頃は6月初旬から7月下旬までです。
 近くにある展望台から見下ろす「不帰滝」の景観は見事です。その昔,そこには鬼婆が住んでいて, 登ってくる男どもを捕まえて生き血を吸ってはこの滝に落とし,あの山に行った者で帰って来た者はいないということから, 「かえらずの滝」と呼ばれるようになりました。

 

No.11 不動滝・不動尊展望台/蔵王町
No.12 三階滝・滝見台/蔵王町

不動滝

不動滝の大鰻と三階滝の大蟹
 昔,三階滝には大蟹が住んでいましたが,狭くなってきたので大きな不動滝を自分のすみかにと狙い,不動滝の主, 大鰻(うなぎ)に決闘を申し込みました。大鰻は勝てる自信がなかったので,美しい娘に変身して里に住む猟師に助けてもらうようお願いしました。
 決闘の日,時間に少し遅れて猟師が現場に着くと,川の水が真っ赤に染まっていて,不動滝の滝壺には大蟹が大きなはさみを天にかざし勝ち誇っていました。 猟師は銃で大蟹の目を撃ち,滝壺の水が赤く染まりましたが,大蟹の姿は見当たりませんでした。一方,大鰻と言えば,大蟹のはさみで胴体を三つに切られ, 頭は青根に,胴は峩々へ,尻尾は遠刈田に飛んでいきました。 三階滝
 以来,青根温泉は頭痛や眼病に,峩々温泉は胃腸病に,遠刈田温泉は神経痛や婦人病にと,大鰻の体が飛んでいったとおりの効能がある温泉になりました。  不動滝は,高さ54m,幅16mと,蔵王最大の滝です。水量が多く,しかも深山の中の滝といった趣があり,数多くの文人墨客に親しまれています。
 三階滝は,細く3段に流れ落ち,高さが181m,幅が7mあります。標高700mから572mの間にあり, 後烏帽子岳東面を流れる石子沢から澄川へ落下する優雅な滝です。日本の滝百選にも選ばれており,特に新緑時や紅葉時, 蔵王エコーライン沿いの滝見台(展望台)からの眺望は息をのむ美しさで,ドライブのお勧めスポットです。

 

No.13 こけし橋/蔵王町

こけし橋

華麗なこけしの微笑み
 白石川支流の松川にかかる遠刈田大橋,通称「こけし橋」。この橋では巨大なこけしが,蔵王を背景にしてお客様を迎えています。このこけしは, 昭和46(1971)年に橋の欄干脇の四隅に建てられました。以来,伝統こけし産地のシンボルとして観光客を見守ってきました。
 遠刈田こけしは,頭部がさし込み式で比較的大きくなっているのに対して,胴が細目になっています。施される模様は,手描きの花模様が中心で, その他,図案化された菊花や梅の模様,木目模様などが見られます。華麗さにおいては,こけしの各系統の中でも一番と言われ, 主に蔵王山麓から切り出された原木を用いて,ひとりのこけし工人がすべての工程を行い,一本一本手作りします。こけしの表情には, 作り手の心が現われるといいます。みやぎ蔵王こけし館では絵付け体験ができますので,あなただけのこけしを作ってみてはいかがでしょうか?

 

No.14 北原尾/蔵王町

北原尾

厳しい自然と戦った蔵王の開拓
 昭和21(1946)年3月末から5月にかけて,七日原に南洋諸島のパラオ島からの引揚者38戸のうち32戸が入植しました。これが現在の北原尾地区で, パラオを「原尾」と呼び,南洋から北に移ったことでつけられた地名です。
 もともと片倉氏の牧場として知られた,海抜400~600mの高地にある七日原の地に,開拓移民が営々ときびしい自然と戦いながら, 開拓の足跡を残しました。
 今日の機械化された農業と異なり,半世紀前,全くの人力で立ち向かった開拓の人々の苦労を忘れることはできません。 現在でも高冷地農業の先進地として,高く評価されるゆえんです。

 

No.15 円田水田/蔵王町

円田水田

根返しの桜
 円田の高山の道端には,「根返しの桜」と呼ばれる樹齢数百年の巨木があります。源頼朝の奥州平定の際, 鎌倉から荷駄をひいてきた大牛が力つきてここで倒れました。兵たちがこれを哀れんで埋葬しようとしましたが,あまりにも巨体で運ぶことができず, 道下に大穴を掘って牛を転がして埋め,その上に山桜を植えて目印としました。
 その山桜は,長い年月の間に,墓に眠る牛のように大きく育ちました。土地の人々は,この桜を「牛桜」または「根返し(寝返し)の桜」と呼び, 伐ればたたりがあると畏れ,大切に保護してきました。毎年,濃い色の花をつける名木で,蔵王町指定の天然記念物です。

 

No.16 塩沢大山・果樹園団地/蔵王町

塩沢大山・果樹園団地

百年の歴史を持つ県内一の梨の産地
 秋の味覚の代表である梨。蔵王町の気候風土が梨の栽培に適しており,大正の始まり頃,約百年の前から栽培が始まり,今や県内一の生産を誇ります。
 町内にはいくつもの梨団地があり,塩沢大山の果樹団地もその一つ。5月のゴールデンウィークには,山の斜面が梨の花で白一色になる様が見事です。 農家が丹精込めて栽培していますが,梨のオーナー制度も行っており,難しい作業はプロの農家に任せて収穫を存分に楽しむことができます。ときには, 感動する位大きな梨に出会うこともあります。
 遠く蔵王連峰を望みながら,果汁たっぷりのみずみずしい梨をほおばるひとときは,まさに至福の時間です。

 

No.17 向山・手倉森山展望台/蔵王町

向山・手倉森山展望台

ブナ堂さん
 向山に,むかし,村人が神様の木と大切にしていたブナの大木がありました。一里四方に伸びた枝のせいで,作物が育たないことに困った村人が, ある夏の晩,寄り合いをし,その大木を伐り倒すことになりました。
 いよいよ,伐り倒す日,石みたいに固い木の幹は,やっと削っても,すぐに元通りになってしまいました。次の日,木っ端を燃やしたら, 木っ端はくっつくことができなくなり,さすがのブナの大木も大きな音を立てて倒れました。その時,ブナから,頭に角を生やし,青い目を光らせ, 真っ赤に口の裂けた化け物が,大きな羽根を広げて舞い上がり,東の空へ飛んで行きました。
 ブナの大木の跡には,いつの頃からかほこらが祀られるようになり,それがブナ堂さんとなっています。

 

No.18 長老湖/七ヶ宿町

長老湖

長老湖物語
 昔々,この沼のほとりに「長老寺」があり,そこの和尚は真面目で人望がありましたが, 思い人にふられたことから人が変わったように乱暴になったそうです。
 白石城主片倉小十郎が住民の訴えを聞き入れ,家来がこらしめようとしたところ,僧は敵わないと思い, 「あかべこになってこの恨みを果たしてやる!」と言い残してこの沼に身を投げたそうです。それからというもの毎年その日になると怪物あかべこが現れ, 村人を恐れさせましたが,遂に片倉小十郎によって退治されました。村人は片倉公の偉功を讃えてこの話を後世に伝えたといいます。
 現在の長老湖は,かつての騒がしさなど嘘のように,静けさが漂っています。初夏の緑の山々,紅葉に染まる秋と, 四季折々の蔵王連峰最南端・不忘山が楽しめます。

 

No.19 横川やまびこつり橋/七ヶ宿町

横川やまびこつり橋

横川木地師物語
 やまびこつり橋がある横川はかつて「木地師の里」として知られていました。 木地師とはロクロを使って木製の器具造りを生業とした人々でこけし工人のルーツと言われています。彼らは角田の殿様に命ぜられ, 足軽としてこの地に根付き,明治末期まで木地挽きを生業としていましたが,時代の流れとともに徐々に木地挽きは影を潜めていきました。
 昭和61(1986)年,失われつつある伝承を後世に伝えようと横川の人々によって「木地の里記念碑」が建立されましたが,残念ながら現在, 「木地」を生業としている人はいません。
 やまびこ吊り橋からはとても清らかな渓谷と蔵王連峰最南端の不忘山が一望でき,紅葉の美しさは他に類がないと言われています。 木地師たちもこの景色を眺めたのでしょうか。

 

No.20 柏木山放牧場/七ヶ宿町

柏木山放牧場

癒しのスポット 柏木山放牧場
 山林が町の90%を占める七ヶ宿町では酪農経営が盛んに営まれています。 柏木山放牧場は春から秋にかけて町内外の畜産農家より約70頭の牛を預かります。足腰を鍛え,丈夫で健康な牛をつくることを目的とした放牧場です。 37haの敷地は11牧区に分かれ,他に看視舎,パドック,格納庫が建ち,100頭の放牧が可能な広さになっています。
 柏木山放牧場は穏やかな風,爽やかな空気に包まれ,ゆったりとした時間が流れる癒しのスポットです。春の晴れた日には残雪が残る蔵王連峰を見渡せ, 秋には抜けるような青空と赤く燃えるような不忘山の鮮やかなコントラストなど,この地で眺める蔵王連峰はどこよりも雄大に感じられます。

 

No.21 一目千本桜・韮神堰/大河原町

一目千本桜・韮神堰

一目千本桜と高山開治郎
 大河原町から下流の柴田町へと続く,延長約8kmにわたる約1200本の桜のトンネルは「一目千本桜」と呼ばれており, 「日本さくら名所百選」に認定されています。
 この桜並木は,大河原町出身の高山開治郎氏が,大正12(1923)年と昭和2(1927)年に約1200本の桜の苗木を町に寄贈したのが始まりです。高山氏は, 白石川堤防竣工の知らせを聞きつけ,当時住んでいた東京の飛鳥山公園や荒川堤防のような桜の名所となることを夢見て,東京の植木職人を同伴し, 町の職人や柴田農学校の生徒とともに,自らも苗木を植え込みました。
 それから80有余年が経ち,彼の夢は見事花開きました。桜の開花時期には,残雪をいただく蔵王連峰と満開の桜並木が清流の白石川に映り, 絶妙な調和を見せます。

 

No.22 大河原河川公園/大河原町

大河原河川公園

白鳥を愛する心が生んだ白鳥伝説
 大河原河川公園は,仙南地域を代表する白鳥の飛来地です。
 仙南地域には,大小10余りの白鳥神社・白鳥社があり,日本武尊(やまとたけるのみこと)の伝説や橘豊日尊(たちばなのとよひのみこと)の伝説など, 白鳥伝説が色濃く残っています。また,大高山神社や蔵王町宮地区の刈田嶺神社には,白鳥の絵馬が多数あり,白鳥への信仰の深さがうかがい知れます。 田んぼに落ちた羽毛でさえ,箸などで拾い上げ神社に納めていたそうです。また,傷ついた白鳥がいたときは, 医者に治療をさせ立ち直るまで手厚く保護をしていたそうです。
 このような土地柄ゆえ,現在でも仙南の人々は,白鳥を愛して渡り鳥との「ふれあい」を大切にしているのです。

 

No.23 金ヶ瀬・新開/大河原町

金ヶ瀬・新開

新開地区は元気です!
 新開地区は人口100人あまりの小さな小さな行政区ですが,皆さん元気いっぱい笑顔にあふれています。「カクテル会」という親睦会があり, そこから,さまざまなアイディアが生まれてきます。例えば,養豚農家が一致団結して会社を作り, 今では直売所「とんとんの丘 もちぶた館」や温泉施設を経営するまでになりました。もちぶた館のメイン商品は「和豚もちぶた」。 豚肉特有のいやな臭いがなく,脂身がとてもサッパリしていて甘みがあります。
 また,ブルーベリーの栽培を行っており,「新開ブルーベリー農園」では,新鮮なブルーベリーをその場で味わう摘み取り体験ができ, 夏の観光の目玉となっています。さらに,菜の花の栽培にも取り組み,環境に配慮した菜種油を生産しています。新開地区の皆さんは, 今夜もカクテルを飲んで社交ダンスに興じ,まちづくりに夢を馳せています。

 

No.24 韮神山/村田町

韮神山

松尾芭蕉の足跡を訪ねて
 ここは,仙台から江戸にのぼる奥州街道が通っていたところで,松尾芭蕉もこの地を歩いたと言われています。韮神山は, この道に臨み白石川に面する奇岩怪岩の山で,文治の役の古戦場でもあり,その景観は,昔からここを通る多くの人たちの旅情をなぐさめてきました。
 昭和56(1981)年4月,国道4号柴田バイパス工事のため,山の一部が失われましたが,その後も昔の面影が残っています。 山の上には多くの黄韮(きにら)が自生していたので,住民がこれを山の神の霊としてあがめ,このことから韮神山の名が生まれました。
 標高94mの頂上付近には三十三観音の石仏群があります。展望台からは雄大な蔵王連峰はもちろん,白石川や一目千本桜の大パノラマが体感できます。

 

No.25 村田鎌研沢/村田町

村田鎌研沢

たまゆらの里の玄関口
 鎌研沢(かまとぎざわ)の台地は蔵王からの風を防ぎ,たまゆらの里を潤す川霧を育む役割を担っています。「たまゆら」という言葉には, しばらくの間という意味や草木に露がつく様を表し,「たまゆらの里」とは,少しの間立ち寄るのに良い場所という意味です。
 鎌研沢の北東に位置する姥ヶ懐(うばがふところ)地区には「たまゆらのそば」があり,露が光る豊かな土地で育まれた香りの高さには定評があります。 また,民話の残る地区でもあり,代表的な民話「姥の手掛け石」は,平安中期の武将渡辺綱(わたなべのつな)が悪さをする鬼と争うというものです。 鬼が渡辺綱から逃げる際,河原で転び石に手をついてしまいます。その手形がついたとされる大きな石が今でもこの地区に残っています。

 

No.26 宮城県クレー射撃場/村田町

宮城県クレー射撃場

全国有数のクレー射撃場
 クレー射撃とは,飛ばした素焼きの皿(クレー)を的とし,散弾銃で狙い撃ちする競技のことで,オリンピック競技にもなっています。
 かつて,村田町谷山地区には,町営の常設クレー射撃場がありましたが,村田ダム建設のための用地となり,昭和47(1972)年に廃止されました。
 現在の宮城県クレー射撃場は,狩猟に関する正しい知識の習得や,銃砲等による事故の防止を図るとともに, 野生鳥獣に関する知識の普及による鳥獣保護思想の向上,さらにはスポーツ射撃の普及振興を図ることを目的とした施設です。 社団法人日本クレー射撃協会の公認検定AAA(国際大会の開催も可能)を取得しており,全国でも有数の射撃場です。平成13(2001)年には, 第56回新世紀みやぎ国体が開催されました。
 自然の中にある施設では,間近に望む蔵王の雄大さや風や雲の流れを体で感じとることができます。

 

No.27 足立・上大平/村田町

足立・上大平

雄大な蔵王山麓を望む
 昔,日本武尊が武蔵国足立郡(現在の東京と埼玉)梁川神社で東北の平定を祈願し, 村田町にその分霊を祀って稲田姫神社を創建したという故事から「足立(あしたて)」の名が生じたと言われています。 稲田姫神社は上大平山頂より南に約1.5kmに位置し,縁結びの神,母乳の神として信仰されました。寛永15(1638)年, 仙台伊達家の奥方が母乳を授かるよう祈り,かなえられたお礼に参道中段の左右に1本ずつ植えた楓が残っており, 現在も御影石の鳥居の左側に1本残っています。
 上大平の山上からは,雄大な蔵王山麓がまるで手に取る様に望むことができます。遠くには村田町や大河原町を見下ろし,緑の自然を満喫できます。

 

No.28 柴田城址公園/柴田町

船岡城址公園

歴史ある樅ノ木の里
 今から約350年前(万治3年)仙台藩62万石3代目藩主,伊達綱宗が不行跡を理由に幕府から隠居を命じられ, 3歳の亀千代が家督を相続したことに端を発する寛文事件。 のちに伊達騒動とも呼ばれる寛文事件をテーマにした山本周五郎作のNHK大河ドラマ「樅の木は残った」(昭和45(1970)年に放映)に登場する原田甲斐は, 幼い時から山に育ち山を愛しました。彼の足跡には必ず樅の木が残っています。樅の木の自然に生きる力は,原田甲斐の人間性と一致しているようです。
 船岡城址公園は,平成2(1990)年3月3日,「日本さくら名所百選」に認定され,桜まつり期間は,雄大な蔵王連邦が一望できます。 毎年多くの観光客で賑わい,町観光物産交流館から城址公園山頂までのスロープカーからの眺めは,まるで桜のトンネルをくぐるような気分です。

 

No.29 国道4号沿い阿武隈川堤防/柴田町

国道4号沿い阿武隈川堤防

阿武隈川に架かる幸運の橋
 町の中を悠々と流れる阿武隈川。昔から,槻木地区の人が対岸の亘理町や角田市に行くときは,近くに橋がなく,渡し船を利用するのが普通でした。
 その渡し船は,江戸時代には,郡によって運航されていましたが,時代とともに移り変わり,後に個人経営, さらに渡し場近くの住人の当番制になっていきました。昭和36(1961)年には,渡し船の県営化が実現しましたが,急用の場合など不便も多く, 早急な橋梁建設の要望が出されていました。
 平成7(1995)年7月7日,待望の「槻木大橋」が開通しました。完成した橋の全長は777.777m。歩道の途中には,バルコニーもあり, くつろぎの空間となっています。

 

No.30 槻木水田地内/柴田町

槻木水田地内

水田の輝きと蔵王の輝き
 柴田町の北東部に位置する槻木地区は,仙台藩直轄地の穀倉地帯として,また,奥州街道の64番目の宿場町として栄えました。
 この地区では,宮城県のおいしいお米である「ひとめぼれ」や「ササニシキ」が, 蔵王連邦の雪解け水を満々とたくわえた清流によって育てられています。
 また,近くの入間田雨乞(あまご)地区には,推定樹齢数百年の自生の北限とされるゆずの木があります。 高さ7mから10mほどの木から摘み取られる黄色い果実は,皮が厚く香りが良いことで定評があり,辺り一面に爽やかな香りを漂わせます。 毎年11月中旬から12月下旬まで,生産者が町内の直売所などで販売しています。

 

No.31 釜房ダム/川崎町

釜房ダム

仙台市の水瓶に映る「逆さ蔵王」
 釜房ダムは治水と利水を目的とした多目的ダムとして建設されました。計画から30年の月日を費やし,昭和45(1970)年に完成して以来, 仙台市の水瓶としての役目を果たしています。
 ダムといえば洪水を防いだり,水を確保したりという役割だけでしたが, 釜房ダムは日本で初めて,自然環境の保護や湖畔の整備に取り組みました。 昭和55(1980)年には,釜房湖畔公園(現在の国営みちのく杜の湖畔公園)が開園し,誰もが, 豊かな水のある風景と気軽に親しむことができるようになりました。
 平成16(2004)年には,ダム湖百選に選ばれ,一年を通して様々な姿を見せてくれます。
 ダム周辺には,他にもエコキャンプ場など自然とふれ合うことのできる施設,上流に上がればスキー場や温泉街と言った行楽施設もあり, 様々な遊びの場を提供しています。

 

No.32 龍雲寺近く水田/川崎町

龍雲寺近く水田

龍雲寺の袈裟懸け地蔵
 山形県白鷹町にある瑞龍院の末寺として元和4(1618)年,砂金右兵衛実常公が開基となって創建されました。 砂金氏が途絶えた後は伊達家が川崎を治めたため砂金氏5代・川崎伊達氏8代の菩提寺となっています。
 龍雲寺の門前にある「袈裟懸け地蔵」は,江戸初期に伊達家に仕えたとされる梁川庄八にゆかりのある地蔵だと言われています。
 庄八は主君の怒りを買い,川崎に移り住みましたが,その頃,狐狸妖怪と呼ばれる大入道が現れ,里の人々を襲い困らせていました。 この話を聞いた庄八は,夜,大入道が現れるという龍雲寺を訪れ,門前で大入道に襲われたところを得意の居合いで倒しました。
 翌日,大入道の行方を確かめに寺を訪ねると,石地蔵の右肩が袈裟懸けに削げていました。その後,大入道が現れることはなく, 右肩が欠けたこの地蔵は「袈裟懸け地蔵」と呼ばれるようになりました。龍雲寺には,他にも珍しい石碑,石仏が残っています。

 

No.33 みちのく杜の湖畔公園/川崎町

みちのく杜の湖畔公園

季節の花で彩られる美しい公園
 平成元(1989)年に東北地方初の国営公園として開園したみちのく杜の湖畔公園は,四季折々の花に囲まれた美しい公園です。 園内にはインラインスケートやバスケットを楽しむことが出来る広場や, 隣接している釜房湖でのボート体験など体を動かしたり自然とふれ合う場がたくさんあります。
 また,全国でも珍しい東北六県それぞれの古民家が集まったふるさと村では,昔の農村の生活風景を見学することができます。 岩手の古民家「遠野の家」では昔話を語り手の方から聞くこともでき,昔懐かしい気分になれること間違いなしです。
 季節毎に花にちなんだイベントが開催されており,年齢に関係なく楽しむことができる観光スポットです。

 

No.34 丸森・金山・小斎阿武隈川南岸/丸森町

丸森・金山・小斎阿武隈川南岸

阿武隈川の舟運
 山間を流れる阿武隈川は,福島県を縦断し,宮城県を流れ亘理町荒浜で太平洋に注ぐ,舟運が盛んに行われた大河です。
 丸森町から亘理町荒浜までは,江戸の初期から舟による物資の輸送が行われていましたが,福島から丸森までは激流地帯のため舟運は遅れていました。
 1665年頃,福島から江戸に年貢米を運ぶ必要から開発が進み,海運と結び付き大いに発展してきました。船での輸送は, 汽車や自動車輸送が普及する昭和初期まで利用されました。
 この舟運とともに江戸時代後期から昭和初期にかけ7代にわたり栄えたのが豪商,齋藤理助氏。その屋敷および収蔵品を町が寄贈を受け, 「蔵の郷土館」として昭和63(1988)年に開放したのが「齋理屋敷」です。蔵と屋敷には,豪商の暮らしぶりを物語る衣類や調度品が展示され, 当時の繁栄を感じさせます。

 

No.35 金山しんつつみ/丸森町

金山しんつつみ

近代産業の息吹「金山」
 古来より鉄鉱山をもって知られてきたので「金山」と呼ばれるようになったと言われています。
 この金山地区の中心部から少し東に入ったところにある「しんつつみ」には,毎年冬になると,たくさんの白鳥たちが群れをなして訪れます。 冬の蔵王山麓は,水面で羽を大きく広げ,天高く飛び回る白鳥たちを温かく見守りながら,見ている者の心を癒してくれます。
 金山地区中心部には金山城祉があります。この城は相馬氏の家臣藤橋紀伊によって築城され,その後, 伊達氏と相馬氏が支配権を争った後に伊達氏のものとなりましたが,それから明治維新までは,代々中島家が城主となりこの地を治めてきました。
 国道113号の向こうには,金山城主中島家の菩提寺でもある瑞雲寺,その先には明治19(1886)年創業の佐野製糸工場跡地などの歴史遺産があります。

 

No.36 舘矢間ひまわり畑/丸森町

舘矢間ひまわり畑

養蚕からひまわりへ
 秋になると舘矢間地区に,ひときわ目を惹く70万本ものひまわりが出現します。
 この地区は平坦な土地が多く,地区を囲むように阿武隈川が流れ平坦地のほとんどが肥沃な沈積土であることから,古くから農業が発達し, 特に養蚕が盛んで藩政時代から明治・大正・昭和初期にかけ県下有数の蚕種の地となりました。
 現在では遠く蔵王連峰に見守られ続けながら酪農・園芸が盛んな地へと変化しています。そんな地元の人々の地域おこしにかける熱き思いが実り, 「ひまわり畑」が今では丸森町の秋の風物詩となりました。
 秋風にそよぐひまわり畑,澄みきった青空,蔵王連峰の遠望は見事なコントラストを醸し出し,多方面から観光客が訪れ大変な賑わいを見せています。

 

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