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「みなと石巻」の歴史

印刷用ページを表示する 掲載日:2012年11月19日更新

江戸時代まで

石巻港は,古くは伊寺水門(いしみなと)とよばれる,北上川の河口に開けた小さな港町でした。

今から約380年前の元和9年(1623年)から,藩主伊達政宗公の命を受けた川村孫兵衛重吉により,北上川の掘削が行われて以来,北上川の水運を利用して,仙台,岩手県水沢,遠くは江戸に至る米穀の積み出し地として繁栄しました。

特に,江戸へ積み出す米は20万石(約3万トン)にも達し,千石船(150トン程度)が盛んに出入りし,「みなと石巻」の名声を大いに上げました。

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江戸末期から昭和中期まで

江戸時代末期から明治初期にかけて,北上川上流部から流れ下る土砂の堆積により,河口港としての機能が低下したため,北上川低水工事を行い一時船運の便が良くなりましたが,
明治20年の東北本線の開通により衰退の一途をたどりました。

これを打開するため,明治44年から昭和21年にかけて港湾施設を整備し,500トン級の貨物船も自由に出入りできるようになりましたが,河口港の性格上,飛躍的な発展は望めませんでした。

現在まで

昭和35年,北上川河口の西方約3kmの釜地区(かまちく)に,全国総合開発計画に基づき工業港の建設に着手し,
昭和39年の新産業都市仙台湾地区の指定および重要港湾の指定を受け,宮城県北部の拠点港として整備が進められてきました。

釜地区の港湾施設背後地には,紙製品、木材製品,食品,飼料,肥料,鉄鋼,造船などの企業が立地し,昭和42年に第1船が入港してから,貨物量は順調に推移してきています。

このように石巻港は,今後ますますの発展が予想されることから,昭和56年に沖合埋立地造成の計画が策定されました。

その後,平成3年から釜地区の沖合である雲雀野地区(ひばりのちく)に埋立工事を開始し,平成10年7月には水深13m第1岸壁が,
平成17年10月には水深13m第2岸壁が,また,平成18年10月に雲雀野北埠頭(水深10m)が供用を開始しています。

東北を牽引する中核的国際拠点港湾の実現を目指した,仙台塩釜港,石巻港,松島港を統合一体化する取り組みについて国土交通省との協議が整い,
平成24年10月17日付けで仙台塩釜港の港湾区域変更の同意と港湾法施行令の改正がなされ,県においても港湾区域の変更について10月18日付けで告示を行いました。

これにより,石巻港は国際拠点港湾「仙台塩釜港 石巻港区」として新たなスタートを切りました。

着工前の石巻港(釜地区)

着工前の石巻港 釜地区の航空写真

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年表

「みなと石巻」の歴史年表
 内容

 元和9年

~寛永3年

伊達政宗の命を受けた川村孫兵衛重吉が北上川の開削工事を実施。
以降、石巻は、米穀の積出港として繁栄した。

明治44年

~昭和21年

河口埋没対策事業や港湾施設整備を行い、500トン級貨物船の航行が可能となった。
昭和25年地方港湾に指定される。
昭和35年全国総合開発計画に基づく北上川特定地域開発計画の一環として、河口西方約3kmの釜地区へ工業港の建設を始める。
昭和39年新産業都市(仙台湾地区)に指定されるとともに重要港湾に指定される。
昭和42年第1船が入港するとともに出入国港の指定を受ける。
昭和43年検疫法による検疫港に指定される。
また、植物防疫法による木材輸入港にも指定される。
昭和44年植物防疫法による穀物輸入港に指定される。
昭和46年植物防疫所石巻出張所開設。
昭和56年雲雀野地区副港建設に係る港湾計画改訂。
昭和59年港湾区域の拡大。
平成 元年雲雀野地区(日和港)の建設を中心とした港湾計画改訂。
平成 3年家畜伝染病予防法による動物検疫港に指定される。
雲雀野地区の埋立免許を取得し、早期供用を目指し、整備に着手。
平成 6年動物検疫所指定上屋(保税)設置。
平成10年雲雀野中央ふ頭1号岸壁(-13m)供用開始。第1船が入港。
平成17年雲雀野中央ふ頭2号岸壁(-13m)供用開始。
平成18年雲雀野北ふ頭岸壁(-10m)供用開始。
平成23年3月11日 東日本大震災の大地震及び大津波により甚大な被害を受けた。
平成24年10月18日 国際拠点港湾「仙台塩釜港 石巻港区」として,港湾区域の変更告示。