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中南部ニュース第2号

タイトル:中南部ニュース

タイトル:中南部ニュース(英字)

第2号 平成15年3月
宮城県中南部下水道事務所

主なメニュー

中南部下水道事務所(管理棟)と貞山堀の写真

(中南部下水道事務所(管理棟)と貞山堀)

下水道整備の効果

当事務所が管理する4流域下水道が整備されたことにより、下水道普及率(%)や川の水質がどのように変わってきたかを流域別にグラフ化したものです。
4流域の下水道整備のグラフを見ると、整備が進む(普及率が向上する)に従って、どの川もどんどんきれいになり、下水道の効果が現れていることがわかります。

平成12年度 公共用水域及び地下水水質測定結果報告書より抜粋

平成12年度公共用水域及び地下水水質測定結果報告書仙塩流域
※仙塩流域下水道は、この他、仙台市(泉区の一部)も該当しますが、上記4地点のBOD数値と直接関係がないため掲載しておりません。

平成12年度公共用水域及び地下水水質測定結果報告書阿武隈川下流流域
※阿武隈川下流流域下水道は、この他、仙台市(太白区の一部)、名取市、角田市も該当しますが、上記4地点のBOD数値と直接関係がないため掲載しておりません。

平成12年度公共用水域及び地下水水質測定結果報告書鳴瀬川流域

平成12年度公共用水域及び地下水水質測定結果報告書吉田川流域

生活環境の保全に関する類型指定概要図と環境基準(河川)

宮城の下水道 平成10年12月より抜粋

下水道は、各家庭のトイレをくみ取りから水洗にし、快適な暮らしにするばかりでなく、みなさんの身近にある川の水質浄化にも大いに役立っています。
このような水質環境の達成と維持・保全を図るために、生活排水については、下水道等による整備促進を図っています。
また、工場排水に関しては水質汚濁防止法による排水規制などの施策が実施されており、水質汚濁防止法と下水道整備は水質保全の両輪として重要な役目を担っています。

宮城の下水道の図

生活環境の保全に関する環境基準(河川)の表
類型 利用目的の適応性 水素イオン(pH) 生物化学的酸素要求量(BOD) 浮遊物質量(SS) 溶存酸素量(DO) 大腸菌群数 生物指標
AA 水道1級・自然環境保全及びA以下の欄に掲げるもの 6.5pH以上8.5pH以下 1mg/l以下 25mg/l以下 7.5mg/l以上 50MPN/100ml 以下 自然探勝
A 水道2級・水産1級 水浴及びB以下の欄に掲げるもの 6.5pH以上8.5pH以下 2mg/l以下 25mg/l以下 7.5mg/l以上 1000MPN/100ml 以下 ヤマメ・イワナの生息
B 水道3級・水産2級及びC以下の欄に掲げるもの 6.5pH以上8.5pH以下 3mg/l以下 25mg/l以下 5mg/l以上 5000MPN/100ml 以下 アユ・サケの生息
C 水産3級・工業用水1級及びD以下の欄に掲げるもの 6.5pH以上8.5pH以下 5mg/l以下 50mg/l以下 5mg/l以上   フナ・コイの生息
D 工業用水2級・農業用水及びEの欄に掲げるもの 6.0pH以上8.5pH以下 8mg/l以下 100mg/l以下 2mg/l以上   農業用水
E 工業用水3級・環境保全 6.0pH以上8.5pH以下 10mg/l以下 ゴミ等の浮遊が認められないこと 2mg/l以上   快適な遊歩

※用語解説
水素イオン(pH):酸性度を表す指標。7で中性、それより大きいとアルカリ性で7より低いと酸性となる。
BOD:微生物が汚れを分解するのに必要な酸素量。汚い水ほど大きい。
SS:水中に漂う塵の量を表す。
DO:水中に溶け込んでいる酸素量を表す。汚い水ほど少ない。
大腸菌群数:単位水量あたりの大腸菌コロニー数。

平成15年度事業概要

主な事業としては、仙塩流域の4系列反応タンク設備工事及び放流渠工事、阿武隈川下流流域は5系列の土木工事及び中央監視システムの改築などがあります。鳴瀬川流域、吉田川流域については建設工事が一段落したことから維持管理に力を注いでいきます。
事業費は、補助事業18億円、県単独事業が2.7億円となっています。

平成15年度事業概要の表
流域名 建設(補助)事業 建設(県単独)事業 維持管理費(県単独)
仙塩流域 水処理第4系列
反応タンク機械,電気設備
土木付帯他工事
遠心脱水設備工事
放流渠工事他
  管渠補修・蓋改築工事
汚泥貯留槽補修工事
場内排水路工事
管渠調査他
阿武隈川下流 水処理第5系列
土木工事
中央監視制御設備改築工事他
事業認可変更 管渠補修・蓋高調整工事
二の倉海域調査
場内配管調査他
鳴瀬川流域     管渠補修・蓋改築工事
管渠調査他
吉田川流域   事業認可変更 管渠補修・蓋改築工事
汚泥貯留槽補修工事
管渠調査他

※事業概要は主な工事・調査項目を載せています。

主なニュース

(1)仙塩浄化センター水処理施設4系列工事順調に進捗

仙塩水処理施設4系列の平成15年度完成を目指し、順調に工事が進んでいます。これが完成することにより処理能力が55,500立方メートル/日増加、全処理能力は222,000立方メートル/日になり一段とアップします。

仙塩浄化センター 水処理4系列関係工事工程表(予定)
工事名 主な工事内容 14                 15                       16    
4 5 6 7 8 9 10 11 12 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 1 2 3
水処理施設(土木)工事 土木躯体建設等                                      
                                               
水処理施設(土木)工事 流入管布設等                                
                                               
水処理施設(防食)工事 防食塗装                                
                                               
最初沈澱池施設機械設備工事 初沈掻寄機設置等                  
                                               
最終沈澱池施設機械設備工事 終沈掻寄機設置等                  
                                               
反応タンク施設機械設備工事 曝気装置設置等              
                                               
水処理施設電気設備工事 運転監視操作設備設置                      
                                               

(2)県南浄化センター コンポスト脱臭装置が完成する

コンポスト施設の臭気対策のため、平成14年10月、コンポスト施設北側に脱臭装置(薬液洗浄方式)が設置されました。この装置は、酸性溶液とアルカリ性溶液の中にコンポスト施設内で発生した悪臭を排風機で送り込み化学反応により悪臭物質を分解する装置です。
アンモニア(トイレ臭)・硫化水素(卵の腐った臭い)を効率よく脱臭します。

県南浄化センター コンポスト脱臭装置の写真

(3)鹿島台浄化センター 汚泥処理施設が完成する

鹿島台浄化センター汚泥処理施設の写真

鹿島台浄化センターは、これまで加美郡4町と共同で移動脱水車により汚泥処理を行ってきましたが、本年2月に固定式脱水設備(遠心濃縮脱水機2台(うち1台予備)処理能力10立方メートル/時)が完成し、本施設による汚泥処理を開始しました。

(4)大和浄化センター 汚泥処理施設が増設される

平成14年9月に汚泥脱水設備が完成しました。この汚泥脱水設備は、流入汚水量の伸びに比例して増加する汚泥を処理するための設備です。水処理の過程で沈澱した汚泥は、汚泥脱水機により脱水され、仙塩浄化センターに運搬、焼却されます。
この脱水機は、「スクリュープレス遠心脱水機」と呼ばれる方式の脱水機で、効率がよい・設置スペースが少ない・メンテナンスが容易などの利点があります。

大和浄化センター汚泥処理施設の写真

(中央に見える横長の筒状設備が脱水機本体)

(5)県南浄化センター コンポスト化施設への刈草投入試験について

平成13年8月から稼働を開始した当施設は、戻しコンポストと脱水汚泥のみで発酵させることとしていましたが、1年が経過し副資材の混合が不可欠との判断に至りました。
副資材の購入には費用がかかること、一方、河川サイドでは堤防を除草した刈草の処分に苦慮していたことから、昨年の8~9月に刈草の副資材としての有効性について仙台土木事務所河川班と阿武隈処理場の協力により刈草の試験投入を実施してきました。
その結果、刈草の投入がコンポストの発酵に何らの支障も及ぼさず有効に作用し、発酵温度も66~70℃の範囲にあり、チップ等の副資材と同等に使用出来ることが確認され、毎日1~3立方メートルの刈草投入が可能との結果を得ることが出来きました。
今後は維持管理費のコスト縮減のため夏場は刈草、冬場はチップ・バーク等を副資材として使用していくこととし、そのための刈草等のストックヤードなどの整備を実施していきたいと思います。
また、減量化後に生じる残さ物についても土壌改良(緑化基盤)材等に使用できないか、成分分析を継続実施するなど試験研究し、効利用の道を探っていくこととします。

(6)白石川幹線下水道管渠撤去要求訴訟 和解成立する

宮城県が土地所有者S氏から白石川幹線下水道管渠の撤去を求められていた訴訟は、平成15年1月22日に仙台地方裁判所で開催された第14回公判において和解が成立しました。
平成13年10月から開始された公判は、「白石川幹線下水道管渠敷設に伴うS氏の土地の無償借用問題」について区分地上権設定契約を締結する内容で和解が成立し、長年の懸案事項について解決することが出来ました。

(7)県議会建設企業委員会現地調査行われる

県議会建設企業委員会現地調査の写真

平成14年12月19日、県議会建設企業委員会(委員長:長谷川章議員)10名が「県南浄化センタ-水処理施設(土木)建設工事の低価格入札調査」で現地を訪れました。
工事概要説明のあとの質疑では「工事の必要性」「水替工法の工期」「現場の品質・安全管理の方法」「過去の入札結果状況」等について質問が出されました。
その後、屋上から場内視察に移り、担当者からの説明に各議員は熱心に聞き入っていました。

(8)県南浄化センター環境対策連絡会が開催される

県南浄化センター周辺地区民代表(8名)との連絡会が平成15年2月19日(水曜日)夜に開催されました。当事務所から脱臭施設の工事完了(H14.10)の報告及び本契約となった水処理5系列土木工事の概要等を説明しました。

公社だより仙塩処理場

宮城県下水道公社の皆さん(写真)

「公社だより」のトップを仙塩処理場が担当します。日々の維持管理業務は、事務所の皆さんの協力を頂き無難に切り抜けています。大変感謝しております。(頭の下げっぱなしです。)維持管理の話題を変えて、職員の出来事(私的なところかも?)を書かせていただきます。
去る2月8日(土曜日)開催された第17回下水道職員健康駅伝大会に、「ナンチャッテランナーズ」(公社認定サークル)が参加しました。横浜国際総合競技場(ワールドカップ決勝戦開催地)外周コース約11.3キロメートルを5人のたすきにて無事完走しました。参加メンバーは、当処理場から2名・吉田処理場から1名・石巻処理場から1名そして管理部から1名の計5名が、日ごろの練習成果(時折、処理場内を走りこんでいます)を発揮してきました(?)。
結果は、参加94チームのうち16位でした。上位入賞を夢みていましたが、インフルエンザや風邪で体調を崩していて思うように走れなかったという健康管理に失敗したのが敗因でした(?)。この敗因を機に、ますます処理場内の走り込みを強化していくことでしょう。その時は、どうぞ声援のほどよろしくお願いします。
4月から宮城県下水道公社のホームページに処理場紹介が掲示になります。こちらも楽しみにしていて下さい。手前味噌ですが、仙塩処理場の「四季の彩り」が面白いと思います。(文責 某課長)

特別寄稿「政宗と多賀城(下)」

中南部下水道事務所 技師 飯田 勝彦

平安朝の陸奥国の中心であった多賀城。この多賀城碑には、大野東人により神亀元年(西暦724年)に創建されたとあり、『続日本紀』には、天平9年(西暦737年)4月1日の条には多賀柵が初見され、この頃に中央政府の支配が及んで来たことを物語ります。もちろん、東北では最も早くから開けました。
鎌倉の世となると、文治の役(西暦1190年、いわゆる平泉藤原氏討伐)で源頼朝に荷担した鎌倉武士が、この地を恩賞として与えられ下向して現地に土着しました。その中で宮城郡に関係するのが、奥州留守職(一般の行政職を担当)として伊沢家景が利府に、頼朝に仕え大功のあった千葉常胤の五男・五郎盛胤は、宮城郡の大半に土地を得て、国分氏の祖となりました。
俗に国分三十三郷と称され、この時、多賀城を始め現在の仙台(当時、千代と呼ばれていた)も国分家の所領に入っておりました。時代が降るうち、伊沢家景は職名の「留守」を名乗るようになり、「留守家景」と頼朝の下し文(くだしふみ)に記されております。
政宗が国分荘千代に来る戦国時代の末になると、留守家(=伊沢改め)は政宗の父・輝宗の実弟・六郎政景が養嗣子となり、国分家も同じく輝宗の弟、彦九郎政重が入嗣し盛重と称しました。うち、留守政景は政宗の幕下のもと、伊達軍団の宿将(しゅくしょう=老巧の武将)として活躍を見せますが、国分盛重は、彼自身、人間的欠陥があったらしく、政宗と反目し家中騒動をおこして追放となってしまいました。

政宗は、盛重追放の後に国分荘千代へ治府を移し、国分家の家臣たちは、政宗の直臣となりました。
こうした中、多賀城の八幡地区には出羽の名門、天童氏が千五百石の所領を与えられ、伊達家「準一家」の家格に列せられました。天童氏は、現在の山形県天童市に本拠をおいた出羽の名門でしたが、出羽の覇権をねらう山形城主・最上義光の討伐を受け伊達家を頼って来たのでした。政宗はこうして、たとえ合戦に敗れた名門であっても、所領を与え家門の名誉(=家格)を与えて決して粗略にしませんでした。このあたり、政宗が戦国大名として一流と言われる所以です。
涌谷伊達家の次男の頼長は、天童家当主・天童頼澄(よりずみ)から数えて三代目の後嗣(跡目)となりましたが、領内の開発を熱心に行い功労がありました。のちに、実兄、宗実の死去に伴い涌谷伊達家に戻りましたが、この人が”伊達騒動(=いわゆる寛文事件:注釈)”の忠臣で有名な伊達安芸宗重です。
いずれにしても多賀城は、古来から開発が進み、交通の要所・物資の集積地で中央にも知られた存在でした。それだけ政宗も、1千石を超える大領主は、一部(八幡地区)それも出羽の名門天童家に所領を与えた以外、大半は藩の直轄地としたところから自領の金城湯治(きんじょうとうち大事な地域)として温存したといえるでしょう。(了)

注釈:伊達騒動
仙台藩の長老となっていた伊達安芸宗重は、4代藩主・綱基が跡目を継いだときに仙台藩の代表として江戸に登っている。当時の仙台藩は、後見人の伊達兵部宗勝(政宗の末子)の独裁的権力に支配され、反対派は次々に失脚・断罪されていた。宗重は、綱基と仙台藩の将来を憂いて領内の谷地境界の不正を証拠に仙台目付へ宗勝の失政を訴え出た。寛文11年(1671)3月、大老・酒井忠清の屋敷で宗重と宗勝派の尋問が行われたが、その最中、宗重は宗勝派の原田甲斐に斬殺されてしまった。結果、宗勝の所行が明らかとなり、後見人・伊達兵部宗勝は土佐に流され、その他、宗勝派の役人も切腹か閉門を命ぜられた。
仙台藩の領内は安堵され、後に4代藩主・綱村(綱基改め)は「尽忠見龍院」の5文字を書いて宗重の廟の額とするよう、嫡子の宗元に贈り父・宗重の忠節を賞した。

全職員での事務所周辺の清掃・環境整備風景の写真

県民サービス向上運動~ホスピタリティの向上~
全職員での事務所周辺の清掃・環境整備風景(H14年11月18日)

お問い合わせ先

中南部下水道事務所施設管理班

多賀城市大代六丁目4-1

電話番号:022-367-4003

ファックス番号:022-367-4004

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