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きょうどをひらく(水害編:新田開発と河川改修)

印刷用ページを表示する 掲載日:2012年9月10日更新

水害編、伊達政宗の新田開発と河川改修

伊達政宗は藩(はん)の財政(ざいせい)を豊かにするために野谷地の新田開発を奨励しました。
そのために、河川の改修を行い、氾らんによる洪水被害(こうずいひがい)をなくそうとしました。

慶長9年までの流路図

慶長9年(1604年)までの流路図(りゅうろず)

伊達政宗は登米城主 白石相模宗直(しろいしさがみむねなお)に北上川の改修を命じました。

  1. 慶長10年(1605年)に着手。
    慶長13年(1608年)完成。
    このとき作られた堤防は今も「相模土手(さがみどて)」と呼ばれています。
  2. 慶長14年~15年(1609年~1610年)
  3. これにより独立(どくりつ)河川となる。

登米城主白石相模宗直が行った改修図

相模土手下流の全景写真

写真:相模土手下流

その後、伊達家家臣 川村孫兵衛重吉が江合(えあい)川・迫(はさま)川を含めた河川改修を元和2年(1616年)から行い、寛永3年(1626年)に完成しました。

  1. 江合川と迫川を合流 元和2年(1616年)
  2. 柳津~猪岡短台開削
    元和3年~6年(1617年~1622年)
  3. 神取山を迂回する河の掘削(くっさく)
  4. 河の拡幅工事
    元和7年~8年(1621年~1622年)
  5. 第3次改修
    元和9年~寛永3年(1623年~1626年)

川村孫兵衛の河川改修図

川村孫兵衛の河川改修

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