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あれコレ!みやぎ・・・・山元町「震災遺構中浜小学校」

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山元町「震災遺構中浜小学校」

2011(平成23)年3月11日に発生した東日本大震災。震災遺構とは、震災により被災した建築物などを保存し、被災の記憶や教訓として後世に伝えるものです。県内には「仙台市荒浜小学校」や「山元町中浜小学校」などの震災遺構があります。
今回は、宮城県南部の山元町にある「震災遺構中浜小学校」を取材してきました。
中浜小学校は1964(昭和39)年開校。海から400メートルと近いため1989(平成元)年の校舎建て替えの際、地域住民の要望により、敷地全体を2メートルほどかさ上げするなど津波や高潮への事前の防災対策が施されました。3月11日大津波が迫る中、児童や教職員、地域住民ら90人の命を守り抜いた小学校です。

校舎

校舎内

大津波の痕跡をできる限り残したまま整備されているため、校舎のいたるところから津波の激しさが伝わってきます。

時計台

学校昇降口前の広場にあった頑丈なコンクリート製の時計台は、押し寄せた津波により北側に倒れています。津波の威力や向きを知る手がかりの1つです。

時計台

1階

校舎1階には、1・2年生の教室や職員室、多目的ホールなどがありました。1階は津波の被害が大きく、天井や窓、壁などが破壊され、大量のがれきが堆積しています。
多目的ホールは学年の異なる児童が集まり、かつては集会や給食などに使用され、吹き抜けの大きな壁にヨットが木組みで描かれた、校舎の中でも特徴的な場所です。ここには昇降口や海側の教室、廊下、2階など多方向から押し寄せた津波が運んできたがれきが堆積しました。写真では分かりづらいですが、窓は同じ高さで破壊された形跡はなく、津波が強く波打ちながら通り抜けていったことが分かります。

多目的ホール

2階

校舎2階は、音楽室や図書室などがありました。津波は2階の天井近くまで達しましたが、1階と比べて大きな被害を受けていません。2階の被害が少ないのは、津波が吹き抜けから1階の多目的ホールに流れ落ちていったことなどに関係があると考えられています。
音楽室では、当時校舎に施されていた災害への備えや、屋上への避難を決断した経緯、寒さと余震に耐えた屋根裏倉庫の一夜などを教職員や保護者の証言などにより振り返ることができる映像を公開中です。

2階

屋上

大地震後、避難者90人は2階図書室前に避難しましたが、津波の予想高さが6メートルから10メートル以上に上昇したことを受け、当時の校長による屋上への避難が決断されました。
もし津波が屋上より高かったら、これ以上、上には逃げられません。「階段を上ったら生き延びて降りるしかない」。児童を最優先とし、最後に階段を上った校長は、これまで感じたことのない重圧、児童の命を守るという責任の重さを感じたそうです。
屋上の屋根裏倉庫の床はコンクリートのためとても冷たく、学習発表会などの道具を保管していた段ボールを解体して下に敷き、寒さをしのいだそうです。先生方はこの倉庫の中に児童を避難させたため、大津波が迫り来る恐ろしい光景を児童に見せずにすみました。

階段 屋上 屋根裏

編集者から

今回は、震災遺構中浜小学校の一部を紹介しました。実際に被災建築物の中に入ってみると、地震の大きさや津波の恐ろしさがいたるところから伝わってきます。
津波に関する警報や注意報が発表された時、自分ならどう行動しただろうか。限られた時間と少ない情報の中、内陸方面に避難するのか、それとも屋上に避難するのか。どの行動にも正解はないと思いますが、適切な判断ができるようより多くの知識が必要です。
震災遺構中浜小学校からは、災害に備えるためのさまざまな知識を学ぶことができます。見学時にはガイドの方々が施設案内をしてくれますので、皆さんもぜひ一度訪れてみてはいかがでしょうか。

『山元町』HP(震災遺構中浜小学校の一般公開について)
-≫震災遺構中浜小学校の一般公開について-山元町ホームページ(外部サイトへリンク)

お問い合わせ先

広報課企画報道班

宮城県仙台市青葉区本町3丁目8番1号

電話番号:022-211-2281

ファックス番号:022-263-3780

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