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復興へ(みやぎ県政だより11月・12月号)

印刷用ページを表示する 掲載日:2013年11月1日更新

復興に向けて、県内の各地域で活動されている方々を紹介します。

地域の伝統芸能(名取市指定無形民俗文化財)を受け継いできた閖上大漁唄込み踊保存会。
メンバーの皆さんは、震災により離れ離れになりましたが、地域の絆を生かして、活動を再開しました。
伝統の踊り再開にかける思いを伺いました。

地図

——閖上大漁唄込み踊とは

 名取市閖上に伝わる、大漁を祝う歌と踊りです。閖上は、名取川の河口に位置し、昔から漁村として栄えた地域なのです。閖上大漁唄込み踊(以下「踊り」)は、古くからこの地域に伝わる大漁祝歌と、明治時代に銚子から伝わったとされる大漁節の2つの歌に振りを加えたもので、漁から戻る漁師と、それを迎える女性や子どもたちによって、戦前まで歌い踊られてきたといわれています。大漁を喜ぶ漁師が、板子を外し船上でたたきながら歌を歌って港に入って来る様子は、とても勇壮なものだったそうです。

 戦後は、徐々に踊られなくなっていったのですが、昭和27年の日本民舞大会で有志が踊りを披露し、全国第2位を受賞したことから保存の必要性が再認識され、保存会が結成されました。

 閖上では、この踊りを保存して次の世代に引き継いでいくため、小学校で教えたり、運動会などで子どもたちが踊る機会を設けたりしてきました。

——震災による被害と震災後の状況について

 震災による津波で、閖上でも多くの家が流され、たくさんの方が亡くなりました。また、踊りに使う法被などの衣装はほとんどが流され、しばらくの間、保存会のメンバーの所在も分かりませんでした。

 震災後に婦人会の弔慰金を渡すため、保存会の役員が市内各地区を回っているうちに、所在の分からなくなっていたメンバーの消息が分かるようになってきました。ちょうどそのころ、被災した無形民俗文化財への支援のお話もいただき、踊りに使う法被と帯を買うめどが立ちました。踊りを再開するための準備が整い、平成23年7月には、震災後初めて集まることができたのです。その時は、みんなで喜び合いましたね。

 踊りに使っていた船が奇跡的に流されなかったことも、再開しようという気持ちにつながりました。この船は、昭和20年代に閖上の船大工が造ったもので、踊りには欠かすことができません。これが残っていなかったら、くじけていたかもしれませんね。

——活動を再開した今の状況は

 住んでいる場所が離れてしまったので、集まるのが大変です。それでも、メンバーは、市の乗り合いバスで来たり、電車で来たり、場合によっては、家族に送ってもらったりして、練習に集まってきています。

 練習は、場所を確保する関係上、月に1回程度になりますが、踊りがあるからこそ、このようにメンバーが集まり、話ができる機会にもなっているのだと思います。集まると、みんな笑顔になりますね。

——イベントにも出演したそうですね

 4月には、仙台・宮城デスティネーションキャンペーンのイベントで、震災後初めて舞台に立ちました。また、10月の名取市老人芸能大会でも踊りを披露することができました。11月には、東京の渋谷区で行われる伝統芸能公演で踊ってほしいというお話をいただいています。このようなイベントに参加することが、閖上を多くの皆さんに知ってもらい、復興への歩みを見てもらう機会になると思いますので、みんなで頑張っていきたいと思います。

——今後はどのように取り組んでいきたいですか

 この踊りは閖上の伝統なので、なんとか続けていきたいですね。閖上は、建物こそなくなってしまいましたが、私たちは、これまで作り上げてきた地域のつながりをなくしたくないのです。

 閖上にあった小中学校が、離れた地域の仮設校舎で授業をしているので、今は踊りを教えに行くのが難しい状況ですが、いずれは子どもたちに、地域の歴史とともに踊りを伝えていかなければならないと思っています。

 これからも、地域の伝統として踊り続け、次の世代に引き継いでいきたいと思っています。

閖上大漁唄込み踊の画像

閖上大漁唄込み踊の様子の画像


閖上大漁唄込み踊保存会監事(前会長)大友 貞子 さん
閖上大漁唄込み踊保存会
監事(前会長)
大友 貞子 さん

名取市閖上出身。元小学校教諭。閖上地区の婦人会会長などを務め、平成25年3月まで、閖上大漁唄込み踊保存会会長を務める。閖上大漁唄込み踊の調査研究を行い、平成7年「郷土なとり」に論文を掲載。

閖上大漁唄込み踊保存会の皆さん
閖上大漁唄込み踊保存会の皆さん

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