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蝉堰物語

印刷用ページを表示する 掲載日:2008年4月1日更新

 蝉堰(せみぜき)は農業用水を運ぶための隧道(ずいどう・トンネル)と水路です。 宮崎の地を治めた石母田(いしもだ)氏の指示により、万治3年(1660年)から約10年をかけ、海老田新蔵人良安(えびたしんくらうどりょうあん・現場責任者)と佐藤惣兵衛(そうべえ・技師)によって造られました。 鳴瀬川から標高60メートルの大地、台の原を越した水のおかげで、宮崎の新田開発が進んだのです。
 当初は、現在と異なる場所から通水を試みましたが、隧道の崩壊が激しく、失敗に終わりました。 その後、今の場所から水路と隧道を掘り進めましたが、これも水が台の原を越えることはできませんでした。 そこで、当時13歳だった新蔵人の次男を人柱にたて、通水を祈願したところ、豪雨となり、その勢いで水は台の原を越えていったとのことです。 人柱となった子供は、台崎に縁切地蔵尊として祭られています。
 堰は昭和55年の災害で被害を受けたので修復し、現在の姿になっています。 平成15年には、素堀だったため、崩落や土砂流入によって狭くなった隧道及び土水路は農業農村整備事業によって改修され、十分な農業用水が供給されるようになりました。 昔の姿とは異なっているものの、地元の人々の米作りへの思いが込められた歴史のある施設です。

写真:現在の蝉堰
現在の蝉堰(平成18年10月)

写真:新蔵人の次男を祭った祠
新蔵人の次男を祭った祠(縁切地蔵)

写真:隧道の内部1
隧道の内部1

写真:隧道の内部2
隧道の内部2

印刷用ファイル(JPG形式:108KB)

蝉堰・土手川周辺マップ

地図:蝉堰・土手川周辺マップ

水の歴史物語/蝉堰/土手川内川

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