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おおさき古道ガイド・奥州街道・古川周辺

印刷用ページを表示する 掲載日:2012年9月10日更新

5 祇園八坂神社(大崎市古川中島町)

写真:祇園八坂神社

 平安時代天慶3年(940)藤原秀郷が奥州鎮定のため将兵の武運長久を祈願して、京都の祇園社の分霊を勧請したものです。その後、兵火にあい、社殿も焼失荒廃していましたが、慶長年間伊達政宗によって社殿堂宇も復興され、志田郡の総鎮守として崇敬されています。
 なお、社殿の格天井の絵画は、仙台藩画工菅野縉斎の筆になるものです。
 また、境内の元社務所は藩政時代の代官所(現市役所にあった)を移築したものでしたが、昭和60年に解体されました。
(案内板)

6 瑞川寺(大崎市古川三日町)

写真:瑞川寺

 曹洞宗。曹源山。慶長年間鈴木和泉元信が、廃寺となっていた寺を中興したものです。山門は古川城の搦手門を移したもので、現在は大崎市文化財です。
(歴史の道調査報告書「奥州街道」)

7 緒絶橋(大崎市古川三日町)

写真:緒絶橋

 緒絶橋は、歌枕の地として有名です。玉の緒(命脈)の絶える思いになぞらえられた小さな流れが、緒絶川です。橋のたもとに風情のある柳がそよぎ、「清酒 玉乃緒」と「上諸白(上質な酒)」の看板を掲げた橋平酒店の建物が雰囲気を添えています。今は操業していないというが、看板は時代物です。左京太夫道雅の古歌の碑もあります。
(奥州街道 歴史探訪 全宿場ガイド)

※現在、橋平酒店の建物は醸室という施設に改装され、橋平酒店もその中で営業しています。

8 古川城跡(大崎市古川二ノ構)

写真:古川城跡

 大崎市指定文化財。室町時代大崎氏7代教兼の第6子が初めて居を構えた地と伝えられ、その後大崎氏の家臣である古川刑部持煕、古川弾正忠�・の居城となりました。
 大崎氏滅亡後、一時木村伊勢守吉清の子清久が居城しましたが、天正19年(1591)木村氏が失脚し、ついで伊達政宗がこの地を領有するに及び重臣鈴木和泉元信の居城となりました。鈴木氏3代宗良の時(正保2年・1645)桃生郡深谷に転封され、その後古川は藩直轄地となり、城跡は御蔵場となりました。明治時代には小学校敷地となり、古川第一小学校となっています。
(古川市史)

9 供養碑(大崎市古川休塚)

写真:供養碑

 寛政4年(1792)の「聖骨伝眞居士」の供養碑です。裏に「東 田尻 西 古川 北 荒谷」と刻んであり、追分石の役割を兼ねていました。

10 延慶の碑(大崎市古川休塚)

写真:延慶の碑

 鎌倉時代後期のもので、延慶4年(1311)に造立されました。両界曼茶羅を刻み偈頌、逆修供養者の戒名も明瞭で、市内で最大のものです。
(古川市史)

11 斗瑩稲荷神社(とけいいなりじんじゃ)(大崎市古川荒谷)

写真:斗瑩稲荷神社

 応永30年(1423)大崎左京大夫持栓が社殿を造営し、小野城の守護としましたが、永正13年(1516)野火により焼失しました。永禄5年(1562)光明寺開基の異庵全秀大和尚が伏見の稲荷山より勧誘、合祀し再建しました。その後、岩出山城に移った伊達政宗が太刀一振を奉納し、以後、岩出山館主の崇敬を得ました。
 寛永年間(1624~1645)正一位の称号を賜わり、遠近の信仰を集めています。

12 羽黒山公園(大崎市古川小野)

写真:羽黒山公園

 春の桜、初秋の彼岸花で賑わう公園です。

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