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きょうどをひらく(開墾編:短台谷地の様子)

印刷用ページを表示する 掲載日:2012年9月10日更新

開墾編、短台谷地の様子

米山町に「短台」という地名の所があり、昔は「短台谷地」と呼ばれていました。
「谷地」とは、どんな所だったのでしょう。

80年前の短台谷地の写真

これが、今から80年ほど前の短台谷地の様子です。
ススキやヨシや雑草が生い茂り、いたるところに水たまりのある荒れた土地でした。

当時の水害の写真

低い土地なので、大雨が降ると水害になってしまったのです。

当時の洪水の写真2

思うように工事が進まなく、しかも途中(とちゅう)で2回も洪水に見舞(みま)われ、ついに工事をやめざるを得なくなったのです。大正9年のことでした。
松山常次郎の後を受け工事を進めたのは、新潟県出身の貴族院議員 高鳥順作(たかとり じゅんさく)でした。

高鳥順作、自画像の写真

昭和5年9月、高鳥順作(たかとりじゅんさく)は、「登米郡米山村短台耕地整理組合」の組合長となって短台谷地の開墾を進めました。
水田1,146ha、畑71haを作り、入植者218戸の受け入れなどを行い昭和11年12月完成しました。

短台耕地整理組合事務所の写真

登米郡米山村短台耕地整理組合事務所
(以前は米山高校の正門脇に建っていました。)

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