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ページの先頭へジャンプここから本文です平成18年12月12日更新 / 観光課




義経ろまんの郷
奥州 -みやぎ-

義経が少年期と晩年を生きた奥州には、義経ゆかりの伝説が数多く存在します。
そんな伝説の数々を、義経の生涯を辿りながらご紹介します。
伝説を素材としているため、史実と対立したり相互に矛盾することがあることをあらかじめご了承ください。
ご紹介に当たっては、義経記の一節を織り交ぜています。語り物の力強さを合わせてお楽しみください。

出来事 伝説へのリンク
平治元年(1159) 義経(牛若)、義朝と常盤との間に、義朝の九男、常盤の第三子として誕生。
永暦元年(1160) 常盤、3人の子を連れて大和に逃れるが、母が清盛に捕らえられたことを知り、母と3人の子を赦免してもらう代わりに清盛に従う。
応保3年・長寛元年頃(1163) 牛若、京都の山科に移る。
仁安元年頃(1166) 牛若、鞍馬寺の別当東光坊に預けられる。
承安3年頃(1173) 牛若、正門坊から平家打倒の話をされ、平家打倒に燃える。
牛若、名を「遮那王」に改める。
承安4年頃(1174) 遮那王、金売橘次から奥州藤原氏の話を聞く。
秀衡を頼ることを勧められ、彼の手配で奥州へ下る。
途中、熱田神宮で名を源九郎義経と改める。
義経、平泉に下り、秀衡と対面する。
■金売橘(吉)次
■平泉・奥州藤原氏
承安5年頃(1175) 義経、山科に戻る。
義経、鬼一法眼秘蔵の六韜三略を盗み読む。
■鬼一法眼秘蔵と六韜三略
治承4年(1180) 義経、挙兵した頼朝軍に合流。
養和元年(1181) 2月 清盛、熱病に倒れ、六十四歳で落命。
寿永2年(1183) 7月 義仲の兵、食料略奪。
寿永3年(1184) 1月
2月
8月
9月
義経ら、義仲討伐。頼朝、義経と範頼に、平家討伐の下命。
一ノ谷の合戦 義経、鵯(ひよどり)越え。
後白河法皇、義経を検非違使の判官に任ず。頼朝激怒する。
頼朝、範頼に屋島の平家討伐を命ずるも失敗。
文治元年(1185) 1月
2月
3月
11月
頼朝、義経に出陣の下命。
屋島の合戦、佐藤継信、義経の身代わりに死去。
壇ノ浦の合戦 義経ら、平家を滅ぼす。
義経、静御前など一行と都落ち、失敗し吉野に逃亡。さらに吉野落ち、平泉に向かう。
佐藤忠信、僧徒を待ち伏せして戦い、時間を稼ぐ。
■佐藤継信・忠信兄弟
■平家の滅亡と落武者
■平泉逃走
文治2年(1186) 1月 佐藤忠信、六條堀川の判官館で頼朝勢に襲われ、自刃。
文治3年(1187) 2月
10月
義経主従、平泉に出立。
秀衡、死去。
文治4年(1188) 2月
10月
11月
藤原基成と泰衡に義経追討の宣旨、院宣相次いで下る。
頼朝、基成と泰衡に義経追討の命を下す。
陸奥・出羽国司らに義経討伐の院宣が下る。
文治5年(1189) 2月
3月
4月
6月
7月
9月
頼朝、泰衡追討を朝廷に求める。
頼朝、泰衡追討の裁可を朝廷に求める。
泰衡、義経の居館衣川館を攻める。
義経、自害する。
泰衡、義経と通じていた弟の泉三郎忠衡を殺害する。
頼朝、大軍を率いて鎌倉を発つ。
泰衡、元郎従の河田次郎に殺害される。
■鈴木三郎重家
■義経自害
■藤原忠衡

■奥州藤原氏の滅亡

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