(1)江戸時代まで
石巻港は、古くは伊寺水門(いしみなと)とよばれる、北上川の河口に開けた小さな港町でした。
今から約380年前の元和9年(1623年)から、伊達政宗(A)の命を受けた川村孫兵衛重吉(かわむらまごべえしげよし)により、北上川の掘削が行われて以来、北上川の水運を利用して、仙台、岩手県水沢、遠くは江戸に至る米穀の積み出し地として繁栄しました。
特に、江戸へ積み出す米は20万石(約3万トン)にも達し、千石船(150トン程度)が盛んに出入りし、「みなと石巻」の名声を大いに上げました。
- 伊達政宗(だてまさむね):安土桃山時代から江戸初期にかけての武将。奥州(おうしゅう)を制覇し、仙台藩の基礎を固めた(仙台藩祖)。
(2)江戸末期から昭和中期まで
江戸時代末期から明治初期にかけて、北上川上流部から流れ下る土砂の堆積により、河口港(A)としての機能が低下したため、北上川低水工事を行い一時船運の便が良くなりましたが、明治20年の東北本線の開通により衰退の一途をたどりました。
これを打開するため、明治44年から昭和21年にかけて港湾施設を整備し、500トン級の貨物船も自由に出入りできるようになりましたが、河口港の性格上、飛躍的な発展は望めませんでした。
- 河口港(かこうこう):河口にある(つくられた)港
(3)現在まで
昭和35年、北上川河口の西方約3kmの釜地区(かまちく)に、全国総合開発計画に基づき工業港(A)の建設に着手し、昭和39年の新産業都市仙台湾地区の指定および重要港湾(B)の指定を受け、宮城県北部の拠点港として整備が進められてきました。
釜地区の港湾施設背後地には、紙製品、木材製品、食品、飼料、肥料、鉄鋼、造船などの企業が立地し、昭和42年に第1船が入港してから、貨物量は順調に推移してきています。
このように石巻港は、今後ますますの発展が予想されることから、昭和56年に沖合埋立地造成の計画が策定されました。
その後、平成3年から、釜地区の沖合である雲雀野地区(ひばりのちく)に埋立工事を開始し平成10年7月には水深13m第1岸壁が、平成17年10月には水深13m第2岸壁が、また、平成18年10月に雲雀野北埠頭(水深10m)が供用を開始しています。
- 工業港(こうぎょうこう):臨海工業地帯などにおいて、工場と一体となって建設される港
- 重要港湾(じゅうようこうわん):国の利害に重大な関係を持つ港で、全国に105港あり、石巻港が指定されています。

着工前の石巻港(釜地区)
| 元和9年 〜 寛永3年 |
伊達政宗の命を受けた川村孫兵衛重吉が北上川の開削工事を実施。 以降、石巻は、米穀の積出港として繁栄した。 |
| 明治44年 〜 昭和21年 |
河口埋没対策事業や港湾施設整備を行い、500トン級貨物船の航行が可能となった。 |
| 昭和25年 | 地方港湾に指定される。 |
| 昭和35年 | 全国総合開発計画に基づく北上川特定地域開発計画の一環として、河口西方約3kmの釜地区へ工業港の建設を始める。 |
| 昭和39年 | 新産業都市(仙台湾地区)に指定されるとともに重要港湾に指定される。 |
| 昭和42年 | 第1船が入港するとともに出入国港の指定を受ける。 |
| 昭和43年 | 検疫法による検疫港に指定される。 また、植物防疫法による木材輸入港にも指定される。 |
| 昭和44年 | 植物防疫法による穀物輸入港に指定される。 |
| 昭和46年 | 植物防疫所石巻出張所開設。 |
| 昭和56年 | 雲雀野地区副港建設に係る港湾計画改訂。 |
| 昭和59年 | 港湾区域の拡大。 |
| 平成元年 | 雲雀野地区(日和港)の建設を中心とした港湾計画改訂。 |
| 平成3年 | 家畜伝染病予防法による動物検疫港に指定される。 雲雀野地区の埋立免許を取得し、早期供用を目指し、整備に着手。 |
| 平成6年 | 動物検疫所指定上屋(保税)設置。 |
| 平成10年 | 雲雀野中央ふ頭1号岸壁(−13m)供用開始。第1船が入港。 |
| 平成17年 | 雲雀野中央ふ頭2号岸壁(−13m)供用開始。 |
| 平成18年 | 雲雀野北ふ頭岸壁(−10m)供用開始。 |